世界各国の政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を抑制するために、さまざまな注意喚起を行っている。しかし少数民族の多くは独自の言語を話すため、正確な情報が届かない恐れがある。こうした中、言語のエキスパートたちが、数百もの聖書翻訳と人工知能(AI)を駆使して、感染予防の情報を少数民族に母語で届ける取り組みをしている。
この先駆的な取り組みは、少数言語の識字率向上を支援するキリスト教団体「国際SIL」のダニエル・ホワイトナック氏らのチームが中心となって進めている。国際SILは、世界的な聖書翻訳団体である「ウィクリフ聖書翻訳協会」のパートナー団体で、協力して聖書翻訳事業を行っている。
現在、世界で話されている言語は7千以上に上るが、自動翻訳サービスがサポートしている言語はごく一部に限られる。こうした中、ホワイトナック氏らのチームは、感染予防で重要になる「手を洗う」という言葉を、自動翻訳が提供されていない500以上の言語に翻訳することに成功した。
「世界の多くの自動翻訳は20数言語ほどしか対応していません。グーグル翻訳のような翻訳エンジンも、サポートしているのは約100言語ほどです。これが意味するのは、感染予防に関するタイムリーな情報を得られずに取り残されている人々が世界に数十億人もいるということです」とホワイトナック氏は指摘する。
25日までに公開された「手を洗う」の訳語は550言語に上る。ウィクリフ聖書翻訳協会や国際SILがこれまでに取り組んできた少数言語の聖書翻訳をベースに、フェイスブックが提供するAI技術などを組み合わせることで、迅速な翻訳を実現したという。
ホワイトナック氏は、新型コロナウイルスの感染症対策では、第一言語による情報理解が生死を分ける可能性があると語る。
「新型コロナウイルスの感染は今も世界中で拡大しており、自動翻訳技術が対応していない多くの言語に関連用語を可及的速やかに翻訳することが必要です」
「少数民族に協力する際は、医療従事者が『手を洗う』や『距離を保つ』などのキーフレーズを各民族の言語で伝えることが必要です。少数民族の人々は自国の共通語を漠然と理解しているだけかもしれませんので、民族特有の言語で話すことが必要不可欠です。そうでなければ情報は伝わりません。かかりつけの医師から『ワッシュ・ユ・ハンドゥ』(「手を洗いなさい」を意味するオランダ語)とか『ラバティ・レ・マニ』(同意のイタリア語)と言われるようなものです。要点は分かるかもしれませんが、詳細を見落とす可能性が高く、生命を危険にさらす恐れがあります」
聖書翻訳とAIの力で生み出された「手を洗う」の訳語の一部は、人力による訳語と共にオンラインで公開されており、利用者は自分が訳した訳語や修正した訳語を投稿したり、手洗いの解説イラスト入りの現地語のポスターをダウンロードしたりすることができる。
国際SILはこの他、少数民族に新型コロナウイルスに関する重要な情報を伝える取り組みを行っている人たちのための特設ページ(英語)も開設した。特設ページでは、新型コロナウイルスに関する小冊子や、情報をイラストなどで分かりやすく可視化したインフォグラフィックなどが提供されている。
一方、ホワイトナック氏は、こうした取り組みについて「私はこれが、新型コロナウイルスに関する情報提供問題の解決になると言っているのではありません。また、すべての言語で機能すると言っているわけでもありません」と言う。しかし「私たちは、現在の危機に関わる諸問題を創造的に解決する取り組みをしなければなりません。このプロジェクトは、とても大きなパズルの小さなピースにすぎないかもしれません。この取り組みと翻訳表現の考案は、一部の少数民族の中で働く医療従事者が、助けを必要とする人たちの命に関わる重要な情報を広める際に役に立つはずです」と続けた。
英国ウィクリフ聖書翻訳協会のジェームズ・プール事務局長は、この取り組みを例に挙げ、聖書翻訳事業が持つ幅広い可能性を語った。
「ホワイトナック氏と彼のチームによる高度に専門化された働きは、現在の聖書翻訳の取り組みに不可欠です。しかし、今回の応用例が示す通り、聖書翻訳事業は人々の信仰生活に貢献するだけでなく、身体の健康などの分野にも大きな影響を与えています。世界的なパンデミックの中で、このような取り組みは真価を発揮するのです」