米国聖公会初の女性主教にして、アングリカン・コミュニオン(全世界聖公会)初の女性主教となったバーバラ・ハリス主教が現地時間13日夜、米東部マサチューセッツ州リンカンのホスピス(緩和ケア施設)で死去した。89歳だった。米国聖公会のマサチューセッツ教区(英語)が同日発表した。
ハリス主教は1989年、米国聖公会またアングリカン・コミュニオンでは女性として初めて主教按手を受け、同聖公会マサチューセッツ教区の補佐主教に就任。引退する2002年まで、13年間にわたり主教として奉仕した。
出身はペンシルベニア州フィラデルフィア。1930年に3人きょうだいの2番目として生まれる。上には姉のジョセフィン、下には弟のトマスがいた。母方の曽祖母は、まだ奴隷解放宣言が出る前の1857年、奴隷の身分として生まれる。曽祖母は1938年まで生き、ハリス主教は母、祖母、そして曽祖母と、家族の中の世代を超えた女性たちから大きな影響を受けて育った。
公民権運動が盛んだった1960年代には運動にも積極的に関わり、「血の日曜日事件」で知られるアラバマ州のセルマからモントゴメリーまでのデモ行進にも参加した。
一方、黒人オーナーが経営する全米展開の広告代理店に就職し、ビジネスウーマンとしても活躍した。米石油会社スノコ(当時サン石油)にコンサルタントとして参画していた時期には、広告代理店の社長を務めたこともある。73年からはスノコの広告部門トップを務め、77年からはスノコ本社の上級コンサルタントを務めるなどキャリアを積んだ。
教会では信徒活動に活発に従事。やがて聖職への召命を受け、79年に50歳で執事に叙任。翌年には司祭となった。そして89年2月11日、マサチューセッツ州ボストンのハインズ・コンベンション・センターで、集まった約8千人の信徒に見守られ、世界中にその模様が放送される中、主教按手を受けた。