シリア人ジャーナリストのマンソアー・サリブ氏が率いる調査チームが、2013年4月に誘拐されたアンティオキア総主教庁(アンティオキア正教会)のアレッポ府主教ボウロス・ヤジギと、シリア正教会のアレッポ府主教ヨハンナ・イブラヒムが16年12月に殉教していたと発表した。「正教ジャーナリスト連合」(UOJ、英語)が16日に報じた。
調査によると、2人はイスラム教スンニ派の反政府武装グループ「ノール・アル・ディン・アルゼンキー」に殺害された。同グループはサウジアラビアと米国から資金と武器を提供され、シリア紛争に独立参戦していたという。
また、2人の府主教は拷問により強制的に改宗させられようとしたという。一方、2人のうち1人は15年に、シリアとの国境に近いトルコの中南部の都市アンタキヤ(古代アンティオキア)の病院で治療を受けていたことも分かった。
調査チームはさまざまな情報から、2人の府主教は16年12月に殺害され、埋葬されたと結論付けた。一方、埋葬地は不明で、2人の遺体がまだ発見されていないことから、公式的な調査は継続するとしている。
誘拐の動機
サリブ氏がウェブサービス「メディウム」(英語)に掲載した報告によると、誘拐犯が何の要求もしてこなかったため、誘拐の動機を推定することは困難だという。メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会のアレッポ大主教ジェーン・クレメント・ジェンバートは、「正教会とカトリック教会は誘拐犯と接触するために大変骨を折りました。しかし、彼らが誰なのか、彼らの動機が何だったのか、私たちには理解できないのです」と語った。
調査チームは、イスラム主義者が、シリアの反政府勢力の指導者との人質交換のために2人の府主教を誘拐したのではないかとも予想している。2人が現地で宣教や人道支援活動を積極的に行っていたからだ。しかし調査チームは、動機に関してこの説を裏付けるいかなる証拠も見つけてはいない。別の可能性として、2人が別のテーゲットと間違われて誘拐された可能性もサリブ氏は指摘した。
カルデア東方典礼カトリック教会のアレッポ主教アントニー・アウドは、「シリアでキリスト教の高位聖職者を誘拐する誘拐犯の主な動機は金銭であり、宗教的理由ではありません。例えば、シリア南部で誘拐された司祭のハッサン神父は、親族が10万ドル(約1100万円)の身代金を支払った後で解放されました」と述べた。しかし2人の府主教に関しては、誘拐犯がいかなる要求もしてこなかったため、この説には無理があるとサリブ氏は見ている。
そのためサリブ氏は、最も有力な犯行の動機として、2人がシリア政府との対話を呼び掛けていたため、彼らをイデオロギー的な目的のために利用しようとしたとの見方を挙げた。
「正教会の信者にとって、キリストの復活を記念する祭日の前日に、高位聖職者が別の宗教に改宗すれば、11年からテロと戦っているシリアの正教会に対する信頼を弱体化させることになります。この誘拐は、シリアのキリスト教徒に対してシリアから出ていけというメッセージにもなり得ます」
殺害の真相
サリブ氏の報告には、13年の事件発生時からの流れが時系列で詳細に記録されており、その最後には悲劇的な結末として、16年の出来事の詳細が記されている。
「16年末、シリア軍はアレッポ地域の解放に成功しました。ほとんどの武装勢力は緑のバスでシリアの北西部に移送されました。誘拐犯は身の危険を感じていたでしょう。その頃には、2人の府主教は囚われの身となって3年がたっていました。(府主教たちが監禁されていた)マシュハド村の解放は、アルゼンキーとその西洋の支援者たちに深刻な結末をもたらすかもしれませんでした。シリアのさまざまな特殊機関が府主教たちを捜索していました。彼らが解放されることは至上命題だったからです。このような状況で府主教たちが見つかれば、武装勢力は審問なしに銃撃される可能性がありました」
「それが理由だったのでしょう。16年12月初旬、府主教たちのイスラム教改宗を達成することができず、彼らをこれ以上国内の他の場所に移送し続けることは困難だと判断して、アルゼンキーの現地司令官たち(ヤシール・ムヒディによるとアブ・ハッサンだったという)は、府主教たちの銃殺を決め、遺体を埋葬しました。府主教たちの捜索はシリアの国中で行われていましたが、彼らは結局アレッポから35キロの場所(マシュハド村)に監禁されていたのです」