三月十九日(火曜)
聖書の?テモテ三・一六に、『聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。』と書かれています。だから、聖書の本当の著者は愛の神様ご自身であって、それは、一般普遍的真理(ロゴスと言う)を告げると同時に、他方、愛の神様が、一人一人の信徒に、それぞれ置かれた今の状況に応じて、語りかけて下さる活きた聖言(レーマと言う)なのです。この事についてナポレオンは「聖書はただの書物ではない。反対するすべてのものを征服する力ある生き物である、」と言い、ワシントンは「 神と聖書なしに、この世を正しく統治する事は不可能である。」またリンカーンは「聖書は、神が与えた最上の賜である。一切の良きものはこの書を通して与えられる。」ゲーテは「 知的文化が深められ、自然科学が進歩しても、聖書から出ずるキリストの深み高みを越える事はありえない。」またニュートンは、「如何なる世の歴史よりも、確かな真理は聖書にある。」と表現している(ヘンリー・ハーレイ、聖書ハンドブック一九頁)そうです。
毎日、私は、ディボーション雑誌「 幸いな人 」を読み、その日その日に、誌上から与えられる聖書箇所を読み、その聖書の聖言が今日、私に語りかけられる事を、静かに聴く事を日課としています。(これをディボーションと言います。)
私は今までも、聖書が一方ではそれが神の聖言であり、絶対的な規範であると知っていながら、他方、聖言に対して、都合の悪い所だけは守らないか、または都合の良い方に解釈する傾向を持っていました。それでも、神様は沢山の恵みを与えて下さいましたが、ディボーション・スクールに通い、ディボーションについての学びのクラスに参加すると、もう残された所もすべて、神様に明け渡すより方法が無いと思う様になりました。――その事が決断される前のある日、クラスの皆さんの前で、私は反対の事を言っていました、「果して、聖言が百パーセント明瞭に語って下さるでしようか、一パーセントは不明確で、それは、後で判るのではないでしようか? 」と。これは心の中で自己弁護し、自分の心を正当化して、皆さんの前で展開していたのです。――所がその日からこの事が、私の心を苦しめました。
この日与えられた聖書箇所は、ヨハネ一二・一二ー二六でした。それはイエス様の孤独な金曜日の行進でした。(キリストが人々の罪を負って死ぬためエルサレムに入場される。この金曜日、群衆はイエスを、世的政治的な指導者と誤解しながら歓呼で迎える。神であるキリストの御心は、言い難い悲しみであったと思われる。)この部分を読みながら、私は、主の孤独と、主を置き去りにする自分を感じて胸を痛めました。
次の日に与えられた聖書箇所は、続くヨハネ一二・二八ー二九で、『 わたしはすでに栄光をあらわした。そして更にそれを表すであろう、』と言う神の声を、ある者は、み使いが語ったと言いますが、他の人は、ただ雷がなったのだ、と言ったと書いてあります。この箇所を読んだ時、私もまた、神のみ声を、ただの雷として聞き流しているのではないか、と言う恐れを感じました。
更に続いて次の日に与えられた聖句は、ヨハネ一二・四八でした、『 わたしを捨てて、わたしの言葉を受け入れない人には、その人をさばくものがある。ーーわたしは、この命令が永遠の命である事を知っている。』
私は、連続して与えられる聖言によって、姿勢を転換して従順に聖言に従わなければならないと、神様に教えられたのです。
著者:仲嶋正一
【所属教会】日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 港南シオンキリスト教会(野川悦子牧師)
【略歴】
日本キリスト教団東京天城教会(松本頼仁牧師)にて受洗(1949)
旧制浦和高校理科卒業 (1949)
進駐軍総司令部民事検閲部翻訳 (1949)
東京大学医学部薬学科卒業 (1953)
エイザイ研究所初代研究員
米国コロンビア大学客員研究員 Research Associate (1966ー1969)
星薬科大学及び大学院薬化学教授 (1970−1995)
同大評議員・日本薬学会関東支部幹事・日本植物園協会評議員 等
現在 同大学大学院名誉教授 薬学博士 (東京大学)
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み神を慕いて:仲嶋 正一(著), 仲嶋 啓子(著) 単行本 (2002/07) 文芸社
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