ローマ教皇フランシスコは来日2日目の24日、長崎と広島の2つの被爆地を訪れ、使用や所有も含め、核兵器の完全撤廃を強く訴えるメッセージを語り、「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」と訴えた。長崎ではまた、日本二十六聖人記念碑を訪問。約420年前の殉教者に思いを寄せるとともに、「死と殉教の闇」がある一方、「復活の光」を告げ知らせる場でもあると強調した。長崎県営野球場(ビッグNスタジアム)で行ったミサでは、イエス・キリストと共に十字架につけられた盗人が語った言葉から説教し、盗人が十字架上で発した「勇気ある信仰宣言」を現代においても行うよう、参列者に促した。
核兵器に関するメッセージ
教皇は24日朝、航空機で長崎に向かい、爆心地公園(長崎市松山町)で「核兵器に関するメッセージ」を伝えた。教皇はメッセージで、被爆地・長崎について「人間が過ちを犯し得る存在である」ことを意識させ、「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町」だと表現。人々の最も深い望みの一つは「平和と安定への望み」だが、「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みに対する最良の答えではありません」と語った。
また現在、世界が直面している分裂は「相互不信」によるものだと指摘。「相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです」と訴えた。さらに、軍備拡張競争は「貴重な資源の無駄遣い」「神に歯向かうテロ行為」と切り捨て、「今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています」と訴え、こうした人々への支援や自然環境の保護に資源を充てるべきだと語った。
その上で、カトリック教会は「人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています」と主張。日本のカトリック教会においても、核兵器廃絶や平和に向けた取り組みを行っていることを紹介し、「どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、私たちが信を置く『武器』でありますように」と願った。
また世界の指導者に対しては、「核兵器は、今日の国際的また国家の安全保障への脅威に関して私たちを守ってくれるものではない」と強調。そして、信頼関係の構築と相互の発展のためには、指導者だけではなく、すべての人の参加が求められていると言い、「わたしをあなたの平和の道具としてください」と求める「アッシジの聖フランシスコの祈り」をささげた。
日本二十六聖人殉教者への表敬
教皇はその後、西坂公園(長崎市西坂町)の日本二十六聖人記念碑を訪問した。現在は公園として整備されている「西坂の丘」は、豊臣秀吉の命令によって1597年2月5日、10代の少年5人を含む26人が磔刑に処された地だ。教皇は「この瞬間を待ちわびていました。私は一巡礼者として祈るため、信仰を確かめるため、また自らの証しと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に強められるために来ました」と述べ、スピーチを始めた。
この殉教地について教皇は、「死についてよりも、いのちの勝利について語り掛けます」と話す。「ここで、迫害と剣に打ち勝った愛のうちに、福音の光が輝いたからです。ここは何よりも復活を告げる場所です。襲い来るあらゆる試練の中でも、最後は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからです。私たちは死ではなく、完全な神的いのちに向かって呼ばれているのです。彼らは、そのことを告げ知らせたのです。確かにここには、死と殉教の闇があります。ですが同時に、復活の光も告げ知らされています」
そして、殉教者の一人でイエズス会士だったパウロ三木の生涯に触れ、「すべてをささげた彼の愛を忘れないようにしましょう」と教皇。「その愛が、福音宣教の熱い思いを刷新し絶えることなく燃え立たせる、この地におけるすべての使徒的精神の、生き生きとした記憶と燃える熱意になりますように」と願った。また、パウロ三木が投げ掛けるメッセージに日本の教会が耳を傾け、「福音の喜びと美をすべての人と分かち合うよう招かれていることを感じますように」と祈りをささげた。
さらに、現在も信仰を理由に迫害されている世界のキリスト教徒のために祈るよう求めた。「すべての人に、世界の隅々に至るまで、信教の自由が保障されるよう声を上げましょう」。そしてまた「宗教の名を使ったすべての不正に対しても声を上げましょう」と呼び掛け、「全体支配主義と分断を掲げる政略、度を超えた利益追求システム、憎悪に拍車をかけるイデオロギー」に対し声を上げるよう求めた。
王であるキリストの祭日のミサ
午後から長崎県営野球場(長崎市松山町)で行われた「王であるキリストの祭日のミサ」では、ルカによる福音書23章43節「イエスよ、あなたのみ国においでになるときには、わたしを思い出してください」から説教した。
この言葉は、カルワリオ(ゴルゴダの丘)でイエス・キリストと共に十字架につけられた盗人が、イエスに語ったもの。イエスがこの地上で聞いた最後の言葉であり、教皇はこれを「勇気ある信仰宣言」だったと語った。多くの人が口を閉ざすか、神の子であるイエスを嘲笑する場で、自分の罪を悔い改め「イエスが王だと気付き、そう宣言した」言葉だったからだ。教皇は、日本が「人間が手にし得る壊滅的な力を経験した数少ない国の一つ」と指摘しつつ、「ですから私たちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なき方、主イエスを弁護し仕えるために、声を上げ、信仰を表明する瞬間を生きたいのです」と語った。
また、パウロ三木ら日本の殉教者たちが命をもって証ししてきたのは「救いと確信」だったと指摘。「私たちは彼らの足跡に従い、その一歩一歩を同じように、勇気を携えて歩みたいと思います。十字架上のキリストから与えられ、渡され、約束された愛こそが、あらゆる類いの憎しみ、利己心、嘲笑、言い逃れを打ち破るのです」と語った。
平和のための集い
ミサを終え、航空機で広島に向かった教皇は、平和記念公園(広島市中区)で行われた「平和のための集い」に参加。そこでも、平和を願うスピーチを語った。
教皇は、被爆地・広島について、「大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます」と語った。
その上で、長崎で伝えた「核兵器に関するメッセージ」と同様、「確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません」「原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の所有は、それ自体が倫理に反しています」と、核兵器廃絶を強く訴えた。
「戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪のスピーチで、あの誰もが知る偽りの行為を正当化しておきながら、どうして平和について話せるでしょうか。平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる『発せられることば』に過ぎなくなると確信しています」
当時教皇であったパウロ6世が1965年、「武器を手にしたまま、愛することはできません」と国連でスピーチしたことを引用し、「紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか」「真の平和とは、非武装の平和以外にありえません」と訴えた。
そして、歴史から学び続けることの大切さを語り、特に被爆地・広島で起こった出来事を、若い世代が忘れるようなことがあってはならないと強調。核兵器や核実験、またさまざまな紛争の犠牲者の名によって、「戦争はもういらない!」「こんな苦しみはもういらない!」と叫ぶよう呼び掛けた。