世界的な説教者、故スティーブン・オルフォード氏(1918~2004)が、世界各地から説教者や教会指導者らを招いて行ってきた講解説教のためのセミナーが、12日から15日まで、東京・大久保のウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で開催された。このセミナーは、米テネシー州の「スティーブン・オルフォード説教研修センター」が行っているもので、日本では「スティーブン・オルフォード・インスティテュート日本校」が主催している。同センターで通常行っているのは1シリーズ4日間、計6シリーズにわたるコースだが、日本では毎年1シリーズのみを集中的に学んでいる。日本で9回目の開催となった今年は、昨年に続き「講解説教と霊的成長」をテーマにしたシリーズが行われた。関東では以前、埼玉で開催されたことがあったが、東京での開催は初めて。部分参加も含め52人が受講し、全期間出席した27人には修了証が贈られた。
宣教師の両親のもと、アフリカで生まれ育ったスティーブン氏は、その力強い説教で知られている。世界的な伝道者である故ビリー・グラハム氏は、最も影響を受けた人物の一人としてスティーブン氏を挙げている。日本においても、日本ケズィック・コンベンションの講師として何度も来日し、メッセージを伝えてきた。そのスティーブン氏が体系的なカリキュラムをまとめて教えてきたのが、この講解説教セミナーだった。
「講解説教」の定義
今回行われた「講解説教と霊的成長」は、全6シリーズの4番目。すでに信仰を持っているクリスチャンの霊的成長を助けることを目的とした講解説教について学ぶシリーズだ。最初の講座「霊的成長の励まし」では初めに、スティーブン氏の息子で、スティーブン・オルフォード説教研修センター総裁のデビッド・オルフォード氏が、講解説教の定義について解説した。同センターでは、講解説教を次のように定義している。
講解説教とは、①与えられた聖書箇所の歴史的、文脈的、文法的、教理的重要性に十分注意を払いつつ、②キリストによってまったく造り変えられる応答を呼び起こす明確な目的を持って、③御霊の力に満たされて、④神の言葉であるテキストを解説し、宣言することである。
デビッド氏はこの定義を4つに区分。講解説教は、聖霊の力によってなされるものであり(③)、単なる講演や雄弁術によって語られるものではない。またそれは、説教者本人の考えを伝えるものではなく、神の言葉を伝えるもので(④)、そのためには、神の言葉である聖書の歴史的、文脈的、文法的、教理的な側面を学ぶこと(①)も必要となる。そしてその説教は、人々が神の言葉に応答し、従うことを目的として語られるべき(②)だと伝えた。
クリスチャンは成長する存在、霊的成長とは?
デビッド氏はその後、「霊的成長」についてペトロの手紙二から語った。同3章18節でペトロは、「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」と命じている。デビッド氏はここから、クリスチャンは救われて終わりではなく、その後霊的に成長する存在であることを強調。具体的に同1章1~11節から、クリスチャンの霊的成長について語った。
霊的に成長するには、イエス・キリストに対する「本物の信仰」と、イエス・キリストに関する「正しい知識」を持つことが前提となる(1~3節)。しかし神は、成長に必要となる力と約束を備えてくださっている(3~4節)。だが、クリスチャンであれば自動的に成長するわけではなく、「力を尽くして」(5節)いかなければ、成長することはできない。そして信仰が成長していけば、「徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛」(5~7節)といったしるしが与えられていく。
一方、デビッド氏は、こうした霊的成長は、私たちが「何かをできるようになる」ことではないと言う。それは、私たちが「どのようになるか」という性質に関するもの。「イエス様のために生きるとは、いろいろなミニストリーをすることでもなく、有名になることでもない。イエス様に似た者とされていく、そのような性質を持つ者に成長していくこと」と語った。
「キリスト・イエスの立派な奉仕者」としての説教者
2つ目の講座「真の人」では、スティーブン氏のDVDを視聴した。スティーブン氏は、テモテへの手紙一4章から、「キリスト・イエスの立派な奉仕者」(6節)に求められる、①生涯における鍛錬(8節)、②社会生活における思慮分別(12節)、③職業生活における献身(14節)、④霊的生活における勤勉さ(15~16節)――を語った。
①「生涯における鍛錬」については、さらに、霊(10節)、魂(7節)、体(8節)の3つの側面における鍛錬が求められると説明。特に「霊の鍛錬」とは、すなわちディボーションの生活であり、「ほとんどの説教者に不足しているもの」と強調。牧師の一番大きな罪は、日々神の御言葉を黙想し祈るディボーションの生活が訓練されていないことだと語った。しかしスティーブン氏自身も、若い頃は祈る気持ちになれない時があったという。だがその時「そう感じるまで祈りなさい」とアドバイスを受けたと言い、「(祈りたい、祈りたくないという)感情は重要ではない。意志が大切」と語った。
②「社会生活における思慮分別」については、パウロはテモテに対し「言葉、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい」(12節)と勧めている。「言葉(会話)」については、礼拝でいくら素晴らしい説教をしても、礼拝後の愛餐の席で軽はずみな言葉を発してしまえば、すべてが台無しになってしまうと指摘。「主よ、私の口に見張りを置き、私の唇の戸を守ってください」(詩編141章3節)が、常に私たちの祈りとなるべきだと語った。また「態度(行動)」については、説教者自身が家で実践していること以上のことを講壇で語ってはいけないと警鐘。講壇で発する言葉と、自身の普段の行動に乖離(かいり)がないか確かめるよう促した。
③「職業生活における献身」については、特に説教者としての働きにおける献身について語った。パウロが「聖書の朗読・・・に専念しなさい」(13節)と命じていることについて、スティーブン氏は礼拝における聖書朗読の重要性を強調。聖書は神の言葉であり、それを朗読するだけでも神は会衆の心に語られるとし、発声の仕方まで意識するなど、畏れを持ちつつ聖書朗読の用意をすべきだと語った。
④「霊的生活における勤勉さ」については、神の言葉を「黙想」し「適用」することで、神の言葉に「保持」されることを語った。このうち黙想についてスティーブン氏は、説教者は時として注解書に頼ってしまい、自ら御言葉を黙想することが少なくなってしまうと注意。黙想という言葉が持つ多面的な意味を説明しながら、神の言葉に「心を砕く」(15節)とはどういうことかを語った。
オルフォード講解説教セミナーは、①講解説教の本質的要素、②講解説教の強化、③伝道説教の講解説教、④講解説教と霊的成長、⑤講解説教とリーダーシップ、⑥実践的講解説教・ワークショップ――の全6シリーズ。このうち日本では、⑤と⑥はまだ行われたことがない。来年は11月17~20日に再び淀橋教会を会場に、講解説教の基礎を扱う1番目のシリーズ「講解説教の本質的要素」が行われる予定。