志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。 (イザヤ26:3、4)
私は鹿児島県の種子島の出身です。鉄砲伝来の島として有名な所で、最近はロケットの基地としても知られています。そんな種子島のことが、『日本の島々』という本の中に書いてありました。
近ごろは少なくなりましたが、私の子どものころ、種子島には本当によく台風が来ました。台風銀座と呼ばれたくらいです。屋根が飛んだり、家が倒れたりで大変でした。しかしこの台風、多くの被害をもたらしもしたのですが、益とすることもまた、多くあったのです。
たとえば、種子島の沿岸では、アワビとか海老、磯の魚がたくさん捕れるのですが、最近はそういった海産物が小さくなったというのですね。なぜかと言うと、台風が来なくなったからだそうです。台風が来ると、激しい風と波が磯の岩や石を動かし、ひっくり返します。そして、磯の魚やアワビや貝のえさとなるプランクトンや海草が、毎年新鮮になり、多くなるのですね。だから、台風は豊かな生命と食糧をもたらしていたのです。有難くないと思われていた、迷惑がられていた台風も、実は必要なものだったというわけです。
私たちの人生にも、あまり歓迎したくない出来事が多く起こってきます。いや、ひょっとすると、そんな出来事ばかりかもしれません。「ああ、こんなことがなければ・・・・・・」とか、「あんな目に遭わなければ今ごろは・・・・・・」と考えている人が大勢いるのではないでしょうか?
しかし、できると信じる人、できると考えることのできる人は、どのようなことの中にも、必ず道を見いだすものです。
私が院長をしている生駒聖書学院の卒業生で、現在は長野県で牧師をしておられる伊藤正明先生のあかしです。
彼は山登りが好きで、よく山へ出かけました。「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ」とは有名な言葉ですが、彼になぜ山に登るのかと尋ねると、「祈るためです。神様を賛美するためです」と答えます。
ある時、谷川岳に登りました。頂上を極め、そこで思い切り賛美歌を歌い、祈りました。快い気持ちで下山を始めたのですが、ふと近道をしようという気になりました。今までそんなことはなかったのですが、その日は魔が差したというのでしょうか。ところが脇道に入ってしまい、ついに谷川岳で迷ってしまいました。「川沿いに下れば何とかなる」と思った彼は、とにかく谷へ谷へと下りていきました。しかし、ある小さな滝の所を下りようとした時、つかんでいた草が抜けて、まっさかさまに落ちてしまったのです。死ぬと思ったそうですが、背中の荷物がクッションとなって、九死に一生を得ました。
落ちた所は岩棚の上でした。上にも下にも横にも行けません。彼はそこでもう死ぬ以外にないと考え、絶望状態に陥りました。しかし、そこはクリスチャン、どうせ死ぬなら、助からぬなら、思い切り神様を賛美しようと、力のかぎりほめ歌ったのです。歌っているうちにだんだん勇気と力がわいてきて、冷静に周りを見ることができるようになりました。そして泥だらけ、傷だらけになりながら、絶壁を横伝いに登り、やっと助かったのです。
絶望して座り込むならば、何の解決もありません。けれども、神様に祈り、賛美する時、いつも新しい能力が与えられます。そして不思議なことですが、解決の道が見えてくるから感激です。
立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。 (イザヤ30:15)
あなたに激しく襲いかかってきている台風のような問題、あるいは絶望の淵こそが、実は、あなたの人生に大きな可能性を、幸せをもたらすチャンスの時となるのです。
今日、いかがですか?イエス・キリストのすばらしい十字架の救いを体験してみませんか?すべてが可能となるのです。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。