武芸
そのような習い事の中でも、特に精神性の強い(または精神性といったことを前面に押し立てている)ものとして、過去には武芸があった。武芸の中心は、技術である。段位制が取られており、習得のための教室は道場と呼ばれる。精神性が強調されているのである。
「道場」という名称は、そこで強靭(きょうじん)な精神と、集中を生み出す意志の力また倫理を習得するという思い入れがある。技の習得と向上のためには、克己(こっき)と鍛練が必要であり、精神の統一と集中を得るための精進と潔斎の場であるとする。それらをよく得るとき、剣は一閃してよく相手を倒す、というのである。
さらに見落してはならないことは、武道における美意識の役割である。家康は戦国時代の流血を憎み、徳川幕府の発足に当たって武家諸法度を発し、武士は、これ以後は弓矢の道ではなく文武の道をもって主君に仕える、とした。これを「元和偃武(げんなえんぶ)」という。家康が政権を取ったのが元和年間であり、偃武の偃はとどめる、武闘を廃止させるという家康の決意を表現する言葉である。
家康の誓いのごとく徳川時代の250年間、外国との戦争はなく、国内的にも公式の戦争はなかった。武士は、私的なことで刀を抜けば(刃傷沙汰)、切腹をもって罰せられることになっていた。(浅野内匠頭は江戸城中で吉良上野介に軽傷を負わせただけだが、即日切腹、お家取り潰しとなり、家臣はすべて浪人、すなわち乞食同様になった。)
このため武道は、戦闘のための技術という面を失っていき、2つの要素を帯びるに至った。一つは修養という要素であり、もう一つは美意識である。このように武道は修練による克己、そうして型の美しさの追求を目的とした。その限りにおいて、お茶やお花などの稽古ごとと、いわば同列の部分を持つようになった。
江戸時代には、相手に打撃をまったく加えない「華形剣法」などが行われ、剣舞などと共に芸能化していたといわれる。江戸時代の後期になり防具と竹刀が考案され、実戦的な要素が復活し、他流試合も行うようになったという。
剣道にはさまざまな流派があり、それぞれが独特の構えを持っていた。青眼の構えとか、大上段の構えなどがあり、これらも戦闘態勢の優劣ではなく、もっぱら型の美しさを追ったもののようで、美意識がその根底にあったと思われる。
もし真に戦闘能力を追求するのなら、銃による戦闘が有利である。そうして当然武技としては射撃訓練が重視されるはずである。ところが、銃の使用と銃の改善は江戸時代には行われなかった。飛び道具は卑怯という美学が行われ、男子はすべて古式にのっとり剣の腕を磨くものとされた。
鉄砲伝来より32年後の長篠の戦いでは、世界で最初の大規模銃撃戦が行われたことは前に述べた。このように、一時は銃の使用で先進国であった日本なのであるが、鉄砲伝来後60年にして徳川幕府が開かれるころには、銃の使用は、事実上は廃止されてしまっており、在来兵器である刀剣に逆戻りしていた。これは、実は世界で唯一の軍縮の成功例である。
刀剣の使用も制限されてしまい、剣の道をはじめ武芸は美学的な見地からも見られるようになっていた。刀剣自体も美術品となった。実際の戦闘が200年以上なかった間に刀剣自体がより装飾的な価値を持つものに変化していった。
このような武芸の流派は創始者によって興り、その継続は擬似的な家族共同体を形成して行われた。道場主は高弟と養子縁組をし、後継者とする。こうして代々の指南が立つ。優れた弟子は、もともとは内弟子として生活を共にしたが、それは価値観の受け継ぎのためだっただろう。
先に述べたように、現代では武術の代表的な剣道と柔道はスポーツ化し、流派は無くなっているようであり、統一的な段位が出されている。もっともブラジルの日系人から伝わった柔道が日本に里帰りしている。そもそも戦前の柔道では、関節わざがあって外す、また「落とす」、すなわち気絶させて一本ということが行われていた。すると師範は当て身で息を吹き返させるのであった。
われわれも中学の柔道部では「落とされる」のだそうなと言って、小学生のころ、うわさしあったものである。戦後、これは禁止された。ブラジルから里帰りしている柔道は、その戦前型らしい。そこからK-1などが発生しているようである。もっとも、修業ではなくて、プロ・スポーツとして戻ってきている。
現代でも、この「修養」という面は強く、一般のイメージとしては柔道も剣道もケンカには使われない。有段者は尊敬される。道場主も暴力的、反社会的な人物は警戒し、ケンカすれば破門というような、社会からはそう思われている。
それとは違いボクシングをやっている人は、道徳や修養とは関係がない。反対にこわもてする、ケンカに強い・・・そういうようなイメージがあるようだ。
このような習い事の、半共同体の内部構造の特徴を考えてみる。
a)最終的な権威は本部にある。そうして実際の活動は各地の「稽古場」や「道場」で行われる。
b)本部は教師の免許を出す。また教師の研修を行うが、日常の活動は教師に任せている。
c)これらの集団は芸事、また趣味のための集まりであり、教養主義的であり、優雅さの追求も前面に出ている。
d)お茶や踊り、華道などを師匠についてやっている人は経済的に安定し、生活に余裕のある人であり、教養のある少数派である。一般大衆のものではない。圧倒的に中流以上の主婦が多い。男子が社会で苦闘している間に、心ある婦人は芸事を勉強し、その範囲で努力している。そういう傾向があるように見受けられる。また勤めで忙しくしているが、時間をやりくりして師匠について何かの稽古ごとに励んでいる人は、向上心に富んでいる人であり、自己管理のできている人であると見られる。
e)精進と人格の修練が宗教的な色彩を持つ傾向がある。並みの人間には、到底まねができないような技術は「神技」と呼ばれることがある。囲碁には「棋聖」という位がある。これはその人に人間以上の力が加わっている、という認識と、その技術に対する畏怖の念とが含まれている。だからといって、神技などというのは日本の偶像的な文化の現れで、これはいけない、と短絡するのはどうか。英語でもジニアス(天才)とは鬼神のことで、エンシュジアスティック(熱心)は神(セオス)が乗り移ったという意味であり、そういう例は幾らでもある。もちろんクリスチャンが、わざわざ使う必要はない言葉である。
f)閉鎖的である。つまりそこにだけ通用する価値体系があり、外部から入ってきたものは、その価値観を把握するのに時間がかかる。これは皆が一心に修業し、昇段を目標として努力し、競いあっている集団であり、そこから来る雰囲気である。傍観者を許さない、無責任なヤジ馬的な人には無縁の集団である。良く言えば張り詰めた空気であり、悪く言えば、無用の者の見物など拒否するのである。そうしてその「良さ」が分かるまでにも長年の修業が必要であるとされている。
g)このように師匠について学ぶ趣味には「〇〇道」という名称がつく。これはその芸を極めるところに、倫理的な意味合いも存在していることを示している。一人でやる趣味は「〇〇道」とは普通呼ばない。「〇〇道」と呼ばれるものは、弟子入りし、師匠の指導を受けるという形のものが多い。つまり自分の内面のある部分をモニターする存在として受け入れるのである。これらは一般に段位制を取っており、修練を積んでその段階を上がっていくというシステムを取っている。
h)先に述べたように短歌、俳句、詩、画などの学習の結社があり、師を中心とする集団を形成していて、俳壇、画壇などとも呼ばれている。これらは創造性がより重要視され、段位のつけがたいもので、この種のものについては門人の囲い込みの度合が弱いといえよう。またこれらは、その集団以外のところにも発表の場があり、それで囲い込みが弱いのだろう。お茶や花、また書はそうはいかないが、これらには出版という発表の手段がある。
i)閉鎖的であるほど、門人の囲い込みも激しいといえよう。茶道や華道、書道の場合は発表の場が限られており、流派などの集団が主催する展覧会、茶事くらいしか発表の機会がない。詩歌、小説、絵画などは、優れた者にとっては出版や展覧会などの発表の手段があり、集団の制約からはより自由である。それだけ、閉鎖性が少ないともいえる。もちろん、それだけの実力に達していない者にとっては同人誌や、同人による展覧会しか発表の機会はないわけで、それだけ集団に対する忠誠が重要になる。
j)自分の独自の思考や方向を表現することは、許されない。それができるのは5段を取ってからである。そんな高位まで行ける者は少数である。多分なったときは、そのような創造的な衝動は枯れてしまっているのではないか。
(後藤牧人著『日本宣教論』より)
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【書籍紹介】
後藤牧人著『日本宣教論』 2011年1月25日発行 A5上製・514頁 定価3500円(税抜)
日本の宣教を考えるにあたって、戦争責任、天皇制、神道の三つを避けて通ることはできない。この三つを無視して日本宣教を論じるとすれば、議論は空虚となる。この三つについては定説がある。それによれば、これらの三つは日本の体質そのものであり、この日本的な体質こそが日本宣教の障害を形成している、というものである。そこから、キリスト者はすべからく神道と天皇制に反対し、戦争責任も加えて日本社会に覚醒と悔い改めを促さねばならず、それがあってこそ初めて日本の祝福が始まる、とされている。こうして、キリスト者が上記の三つに関して日本に悔い改めを迫るのは日本宣教の責任の一部であり、宣教の根幹的なメッセージの一部であると考えられている。であるから日本宣教のメッセージはその中に天皇制反対、神道イデオロギー反対の政治的な表現、訴え、デモなどを含むべきである。ざっとそういうものである。果たしてこのような定説は正しいのだろうか。日本宣教について再考するなら、これら三つをあらためて検証する必要があるのではないだろうか。
(後藤牧人著『日本宣教論』はじめにより)
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