小さな群よ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカ12:32)
フェンスで囲い、隔ての壁で守ることによってしか存在できないものが軍事基地である。私たちウチナーの民は、戦後74年間この基地と隣り合せに暮してきた。戦後27年間の米国による植民地統治が終り、祖国なる日本に復帰しても、それは基地付き復帰であり、何ら変ることはなく、むしろ基地は強化された。それは沖縄を捨て石とした歴史そのものであって、それが現在もなお続いている不条理そのものである。
沖縄の青い空には米軍の戦闘機が飛び交い、爆音により住民の生活は脅かされ、子どもたちは「青い空を返してください」と、慰霊の日の「平和の詩」の中で毎年、叫び続けている。海には幾つもの軍港があり、昔の漁民の生活は奪われている。その上、基地からの有害物質によって海は汚染され続けている。陸は、軍事基地が広大で豊かな住民の土地を収奪して、人殺しの軍事訓練に使われている。かつて楽しんだ豊かな海浜は基地内にあり、立ち入り禁止である。やんばるの緑豊かな山々の中には、ヘリパッドが造られ、実弾訓練場とされている。空も海も陸も、日本政府と米軍によって支配され続けている。
また私たちの大切な水道水までもが、基地からの有害物質により汚染され、県民の命が脅かされている現実がある。日本の国土の0・6パーセントしかない小さな沖縄に、国内の70パーセントの米軍基地が集中している。その上になお、辺野古、大浦湾の命豊かな海を埋め立て殺してまで新基地を造ろうとしている日本政府を、私たちは決して許すことができない。本土の人々の多くは沖縄を知らない、無関心である。この座り込みの現場をこそ、お茶の間に人が集まる時間帯にテレビで放送してほしいと願っても、政府は沖縄を見える形で伝えないようにし、意図的に沖縄を見殺しにしている。
私たちは、2012年10月から7年間も、普天間基地の野嵩(のだけ)ゲート前に集い、人殺しのための軍事基地がすべてなくなる日を願い望みつつ、夕方6時~7時、ゴスペルを歌い祈り続けている。ゴスペルの歌声はフェンスを越えて、空高く響き、本土の空に、世界の空へと広がっていく。私たちの小さな行動は神に導かれて今、ここにあることを毎回実感している。7年も継続していると、それはもはや私たちの意志や努力によらず、神のご意志によって存在せしめられていることに気付かされ驚いている。
ゴスペルの歌声は空に響き、本土のキリスト者の心に届いて、本土の12カ所でゴスペルを歌う会が生れた。非暴力による平和を実現するための行動の一つの証しだと思う。ゴスペルのソング集の中にある平良愛香さん作詞・作曲の「ミルク世(ゆ)チュクラナ、ウチスリティ」から2番の歌詞を紹介したいと思う。
どんなに遠く思えても 必ずその日は来る
どんなに遠く思えても いまその日は近づいてる
どんなに難しく思えても 必ずその日はなる
どんなに難しく思えても いまその日は近づいてる泣く者と共に泣き 喜ぶ者と共に喜こぼう
さまたげるものはない
ミルク世 チュクラナ ウチスリティ泣く者と共に泣き 喜ぶ者と共に喜こぼう
新しい世界が生れる
ミルク世 チュクラナ ウチスリティ
私たちが人間として共に泣き、共に喜ぶときに、そこに新しい世界が生れること、妨げるものはないと断言している。私たちが目指す平和をつくる生き方がここにあること、そして平和は、そのような私たち一人一人の生き方の中から生れることを歌っている。「必ずその日はなる」と、希望と励ましを与えられる歌だ。私たちはどんなに厳しい闘いの日にも、決して人間としてのこの平和をつくる原点を忘れてはならないと思う。
私たちは、フェンス越しに見える基地に向かって歌うだけでなく、身を転じて、道路側に向っても歌う。手を振ってくださる方もいて励まされている。ごくたまに右翼が妨害に来ることもあったが、ゴスペルの祈りはすべての人を包み込み、誰一人傷つけることはない。この夏、私は3人の孫たちをゴスペルに連れて行き、共に歌い、共に祈った。孫たちの心に平和を祈るゴスペルの祈りの種は確実にまかれ、孫たちはこれからも参加したいと言ってくれた。
辺野古ゲート前の座り込み行動は6年目を迎え、現場の光景はずい分変ってきたと思う。以前は機動隊を敵視し、誹謗、罵倒し、激しく力で抵抗することで、機動隊の暴力を逆に引き出し、逮捕者が何人も出たり、救急車で運ばれたりと、激しく傷つく現場であった。しかし、こんなことは6年も続けることはできはしない。今はリーダーの方が「これは非暴力の闘いですから、絶対に機動隊を罵倒することは言わないでください。暴力的抵抗はしないように」と言う。私たちは不屈の精神を内に強く秘めながらも、非暴力で闘い続けている。
いつも歌があり、ユーモアがあり、無言の内に連帯の絆が結ばれている。座り込む私たちを見て、機動隊の彼らは、私たちをいたわってくれるようになった。孫のような沖縄の若者たちを、機動隊だからといって、どうして敵視したり、憎んだりできようか。彼らはこの現場の歴史の場に共に立つ証人であり、仲間である。彼らが、座り込むウチナーの高齢者を見て、その存在を尊く思い、尊敬してくれるような、そんな関係をつくる現場であってほしいと私は思う。私たちの存在が彼らの心を育て、平和への願いを起こさせてくれるなら、この闘いの現場においても、人と人との平和をつくることができると私は思っている。何よりも非暴力こそがその命である。確かに機動隊がいなかったら、座り込みだけで工事は止められる。ダンプの運転手たちが「基地を造る仕事はしません」と言って、ストライキを起こしたとしたら、工事はストップするだろう。しかし、真の敵は闇の世の主権者なる悪魔であって、その悪魔に従う安倍政権である。そして、目には見えない陰でうごめくあらゆる金や権力、覇権争い、死の商人を相手にする闘いである。民主主義も司法もない沖縄にあって、巨大な国家、米国と日本政府を相手に23年も闘い続けている民は世界中どこにもない。
どうか本土に住む皆さんお一人お一人は、目を覚まし、沖縄を見てください。聞いてください。無関心は沖縄を差別し、捨て石にしていることと同じだ。なぜ安倍政権の支持率が50パーセント近くもあるのか。私たち沖縄は安倍政治を絶対に許さない。憲法9条は絶対に死守しなくてはならない。この危機的状況の中、一体、日本はどこへ行こうとしているのか。韓日関係を最悪の状態にまでしてしまったのは、安倍政権にすべての原因と責任がある。自己反省もできない傲慢は、やがて打ち砕かれるときが来るでだろう。
闇が深まれば深まるほど、光もまた一層輝きを増すのが人の世。あちらにも、こちらにも、キラリと輝く星たちがいる。先日、国連の「気候行動サミット」でスウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさん(16)が、声を震わせ泣きながら訴えた。
「あなたたちを注視している。私たちを失望させる選択をすれば決して許さない。あなたたちは空っぽの言葉で私の夢と子ども時代を奪い去った。私たちは絶滅に差し掛かっているのに、あなたたちの話すのは金と永遠の経済成長というおとぎ話だけ」
痛烈な言葉を世界の首脳たちは受け止めただろうか。私は思った。もしもグレタさんのような純な魂の若者が、国連の場で「辺野古の海は埋め立ててはいけない」と涙をもって訴えたとしたら、首脳たちの心を動かし、辺野古新基地中止が実現するかもしれないと。辺野古を変える道は絶対にあるはずだ。
ゴスペルの歌声が闇を動かし、若者たちの魂に届き、闇を打ち破る行動が生れることを祈りたい。私は生かされて、許される日の限り、ゴスペルを歌い続けたいと思う。毎月曜、夕日が沈むころ、車の騒音の中にも確かにゴスペルの歌声は力強く聞こえている。未来への希望の歌声である。
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石原艶子(いしはら・つやこ)
1942年生まれ。16歳で無教会の先生との出会いによりキリスト者となる。全寮制のキリスト信仰を土台とした愛農学園農業高校に奉職する夫を助けて24年間共に励む。1990年沖縄西表島に移住して、人間再生の場、コミュニティー西表友和村をつくり、山村留学生、心の疲れた人たちと共に暮らす。2010年後継の長男夫妻に委ね、夫の故郷、沖縄本島に移住して平和の活動に励む。無教会那覇聖書研究会に所属。