前作「ギャラクシー街道」(2015年)が、評論家からも観客からも総スカンを食らってしまった三谷幸喜監督。さんざんこき下ろされてから4年後、起死回生を狙って作り上げたコメディー作品が本作「記憶にございません!」である。
そもそもこのタイトルは、1976年のロッキード事件の際に、衆議院予算委員会にて証人喚問された実業家、小佐野賢治氏が、質問の度に繰り返した「記憶に(は)ございません」というフレーズに由来している。この言葉は当時流行語となり、以後、不正を働く政治家たちが罪を隠蔽するために用いる常套句として広く世に知られていくこととなる。
この前提を逆手に取り、「もし本当に政治家が記憶をなくしてしまったとしたら・・・」という逆転の発想から生まれたのが本作である。芸達者な豪華俳優陣と三谷監督の巧みなストーリーテリングによって、観客を飽きさせない127分となっている。途中、あえてチープ感を出すことで「物語」と私たちとの間に距離を開けさせるような手法に対し、好き嫌いはあるだろうが、一定の評価を与えることができると思われる。
現在公開中であるため、ネタバレは避けるが、軽いコメディーの形態を採りながらも、シニア世代の根源的な渇望感を見事に浮かび上がらせていると私には思えた。
政治を扱ったコメディー映画というと、観ていて思い出されたのは、アイバン・ライトマン(ゴーストバスターズ旧シリーズの監督)の「デーヴ」(1993年)である。こちらは現職大統領が不倫の果てに腹上死してしまったことから、地方で大統領のそっくりさんショーをしていた市井の男性を大統領本人に仕立て上げようというコメディーである。
私利私欲で行動し、人々から嫌われていた大統領が、今までと正反対の行動に出ることで周囲に戸惑いが生じる、というこのプロットは、本作のモチーフになっているかもしれない。
支持率2パーセント台の嫌われ者現職総理大臣、黒田啓介が、ある日聴衆から石を投げ付けられてしまう。頭にけがをした黒田首相は、医師の診断の結果、記憶喪失であることが判明する。しかもなぜか政治家になって以降の記憶がまったく欠落しているという。観客は「記憶喪失になった男」の立場にいきなり投げ込まれてしまう。そして彼がどんな人物で、どういう交友関係を持ち、何をしてきたのかを、記憶を失った黒田首相本人と共に知ることになる。
物語は後半から「記憶のない」黒田首相が政治改革を行う場面を描く。今までとは真逆の政策を提案し、中学公民の教科書に記載されている通りの真面目な政治姿勢で国を動かそうとする。そこに立ちはだかるさまざまな問題の壁。果たして彼はこの難題をクリアできるのか。はたまたこの記憶喪失はどうなっていくのか。
前半で無造作に展開していた(かのように思えた)物語が実は伏線であり、それを次々と回収していく後半は観ていて気持ちがいい。そしてお約束の「どんでん返し」が連続して起こるクライマックスでは、心優しい観客は涙を禁じ得ないだろう。少々でき過ぎで、お約束既定路線の笑いもあるため、細かい部分にこだわる人にとってはあまり面白くないかもしれない。だが、物語の本筋として、黒田首相の「変化の仕方」にリアリティーを感じられるなら、その人にとって本作は忘れられない一作となるだろう。
ハリウッド映画「デーヴ」と本作「記憶にございません!」の最大の違いは、嫌われ者であった為政者がまったく逆の言動を始めたその要因である。「デーヴ」では、異なる2人の人間が同一人物を「演じる」のだから言動が異なっているのは当たり前である。しかし本作は、同一人物の「記憶回路」が異なるため、いわゆる「人生やり直し」効果を見て取ることができる。つまり、本当に今までの所業をリセットして、新たな生き方ができたとしたら、私たちはどう行動するか、どんなことを願うか、ということである。
コメディーとは、人間の願望やはかない夢、そして後悔(あの時、こうしておけばよかった)などを実際に物語る作業である。言い換えるなら、人が今までの歩みを一旦横に置いて、今だから分かる本当の願い、真摯(しんし)な生き方、原初的な希望が実現した世界を描き出すことである。
それは現実には難しいだろうが、せめてスクリーンの中だけでも、わずか数時間でも夢がかなえられた世界に触れていたいという、人の根源的な欲求である。つまり人は、誰しも「やり直したい」過去を抱きつつ、今を必死に生きている。「人生やり直し」ができるなら、そうしたい。そんな願いを根底に秘めつつ、そんなことはファンタジーかコメディー映画の世界でしかあり得ないと諦めている。
しかしキリスト教は、この「人生やり直し」を全世界にアピールして2千年の歴史を重ねている。しかも単なるファンタジーではないし、2時間のコメディー映画でもない。事実として、そのことを訴え続けている。人はいつからでも、どんな状況からでも「新しく生きる」ことができる。そう訴える営みを継続して現在に至っているのである。
そんなメッセージを伝える聖句を挙げるとしたら、以下のものがある。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:2)
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント二5:17)
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)
本作「記憶にございません!」がヒットしている日本(9月第3週末動員1位)。この映画を観るために、劇場まで足を運び、感動したり面白がったりする日本人の心情には、根源的に「私もやり直したい過去がある」というものがあるのではないだろうか。黒田首相という人物に自分の姿を見いだしたり、彼の言動に感情移入してしまったりしたのであれば、それはこの映画の底流にある「人生やり直し物語」のメッセージに共鳴しているからに他ならない。
たかがコメディー、されどコメディー。かの喜劇王チャップリンはこんな言葉を残している。
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
(Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.)
若い世代ではなく、むしろ主演の中井貴一のようなシニア世代にこそ、この映画はウケるだろう。そして、そういった世代に福音を届けるきっかけを与えてくれるのが、本作「記憶にございません!」である。「ロングショットで見る人生=喜劇(コメディー)」にこそ、過去を作り変えてくれるキリストの福音は届くはずである。
■ 映画「記憶にございません!」予告編
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