30回にわたって「コヘレト書を読む」というコラムを連載させていただきましたが、今回から「パウロとフィレモンとオネシモ」という新しい連載を始めます。この連載に当たっては、8月16日に天に帰られた故宮村武夫・クリスチャントゥデイ編集長の力強いご助言があったことを申し上げておきます。宮村先生は、コヘレト書の連載も楽しみにしてくださっていたのですが、本来は新約がご専門の先生ですので、この新しい連載をなおさら楽しみにしておられたようです。また、私が以前からフィレモン書に取り組んでいたことを知っておられたようです。宮村先生にお読みいただけないのは残念ではありますが、ご遺志を受けて、本コラム執筆の役目を果たしたいと考えています。
私は、聖書解釈に関しては、いわゆる「批評的解釈」の位置に立っています。福音派の方々などの、いわゆる「保守的」な立ち位置にはありません(ただし、その立場を批判することはしていません)。今回の連載は、私自身の立ち位置からでないと、どうにも執筆を進めることができないのです。しかし、クリスチャントゥデイの読者は保守的な立ち位置の方々が多いと思います。そこが心配でした。ですが宮村先生は、「保守的な解釈もコラムの中で紹介することで、臼田先生が懸念されていることに対しては対応できるのではないか」と言ってくださったそうです。それを受けて、さまざまな立場の解釈にも触れながら、執筆を進めていきたいと思います。
本コラム執筆の目的は、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」を、フィレモン書、コロサイ書、エフェソ書、使徒言行録などから明らかにすることにあります。このテーマは、私がかれこれ10年近く取り組んでいるものです。
とは言うものの、当初の関心はフィレモン書のみでした。そのきっかけは、松本卓夫著『ピレモン書註解』(教文館、1928年)を読んだことに始まります。この書には以下のようなことが書かれていました。
パウロの手紙の中には、この手紙程度の長さのものはたくさんあったであろう。しかしなぜこの手紙だけが正典として残ったのであろうか。相当な重要性があったに違いない。
フィレモン書は、聖書の中で5つしかない、章のない書の一つです(他は、オバデヤ書、ユダ書、ヨハネ書二、ヨハネ書三)。パウロの手紙で該当するのは、フィレモン書だけです。フィレモン書の重要性を示唆する上記の箇所を読んだことは、私にとって「目からウロコ」だったのです。それから、フィレモン書についていろいろ調べるようになりました。
学びを進めてまいりますと、この短い手紙はコロサイ書に強い影響を与えていることが分かりました。そして同じく、コロサイ書はエフェソ書に強い影響を与えていることも分かりました。フィレモン書が親の手紙であるなら、コロサイ書は子の手紙、エフェソ書は孫の手紙と言うことができることが分かってきたのです。そうなりますと、フィレモン書の存在は、パウロ書簡の中でも相当大きなものであることになります。それらのことをも総合的に、本コラムで取り上げたいと考えています。
呼称についてですが、新約聖書の書簡については、○○書とさせていただき、使徒言行録などその他は、新共同訳での呼称に倣いたいと思います。翻訳も、基本的には新共同訳を用いさせていただきます。
以下に、本コラムで取り上げるテーマを羅列します。
- フィレモンの家の教会とは何か?
- フィレモンは何をしていた人なのか?
- オネシモはどういう人物か? 逃亡奴隷なのか?
- フィレモン書にある「獄中で産んだ私の子」とはどういう意味か?
- フィレモン書の執筆目的は何か?
- オネシモのその後は?
- フィレモン書とコロサイ書の関係は?
- アルキポやエパフラスは何者か?
- コロサイ書でのオネシモはどういう位置付けか?
- それではコロサイ書とはどういう書簡か?
- コロサイ書とエフェソ書の関係は?
- エフェソ書の執筆目的は何か?
- エフェソ書の「奴隷訓」はなぜ奴隷に優しいのか?
- ジョン・ノックスのエフェソ書論について
- それではエフェソ書はどういう書簡か?
- 「パウロとフィレモンとオネシモ」が初代教会で果たした役割とは?
このようなテーマを取り上げつつ、コラムを進めてまいりたいと思います。(続く)
※ フェイスブック・グループ【「パウロとフィレモンとオネシモ」を読む】を作成しました。フェイスブックをご利用の方は、ぜひご参加ください。
◇