原爆投下後の長崎に進駐した米兵が、被爆して倒壊した旧浦上天主堂(長崎市)のがれきの中から発見し、その後米国に持ち帰っていた「被爆十字架」が来月、74年ぶりに返還されることになった。返還後は、戦後再建されたカトリック浦上教会で展示されることになる。
十字架を発見したのは、元米兵のウォルター・フックさん(2010年に97歳で死去)。終戦後、短期間長崎に進駐していた時期に、旧浦上天主堂のがれきの中で見つけた。カトリック信者であったフックさんは、当時の山口愛次郎・長崎司教(後に長崎大司教、1894~1976)から許可を得て、米国の母親の元に十字架を送ったという。
帰国してからは、原爆を使用した米政府を批判する立場となり、全米被曝(ひばく)退役軍人会の会員にもなるなどして、反核運動に参画した。そしてその中で、クエーカー(プロテスタントの一派)で反核・平和活動家のバーバラ・レイノルズ氏(1915~90)と出会う。
レイノルズ氏は、米国が設置した原爆傷害調査委員会の研究員として51年に来日。原爆の惨状に触れ、反核・平和活動を行うようになった人物だ。「ヒロシマの世界化に尽力した」として、75年には広島市から特別名誉市民の称号も贈られている。同年には、クエーカー系のウィルミントン大学(オハイオ州)内に「平和資料センター」を開設。そこにフックさんが82年、十字架を寄贈し、以来同センターが所蔵していた。
同大(英語)によると、十字架の返還は、同センターのターニャ・マウス所長が今春、日本関係の会議に参加した際、ノースウエスタン大学(イリノイ州)の宮崎広和教授と出会ったことがきっかけとなった。宮崎氏は、日米親善を目的に1927年、米国の教会が主体となって日本に贈った1万2千体余りの「青い目の人形」について調査しており、このうち7体は、ウィルミントンに住むクエーカーが提供したものだったという。
これを受け同大は、クエーカースタイルの人形100体を作り、長崎と平戸の両市に贈呈することにした。それを歓迎した宮崎氏が同センターを訪問。宮崎氏は長崎市認定の「長崎平和特派員」でもあり、十字架の存在を髙見三明・長崎大司教に伝えたことで、返還に向けた話が進んだ。
マウス氏は十字架を返還する意義について、次のように語る。
「旧浦上天主堂の遺物で保存されているものは非常にわずかです。ですから、彼らのアイデンティティーと非常に深く結び付いているこの十字架を返還することは、とても重要なことなのです」
マウス氏は8月、人形100体の制作を考案した同大チャプレンのナンシー・マコーミック氏らと共に来日し、人形を長崎、平戸の両市に贈呈する。十字架は7日に浦上教会に返還し、9日には長崎市の平和公園で行われる長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加する予定。