わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネ15:15)
2019年の前半もあとひと月。この1週間を歩むに当たって振り返ってもらいたいテーマは、イエスは私たちのことを確かに友と呼んでくださり、人間の友との関係以上の強いつながりを持ってくださったことです。この友としての見方から、イエスを本当に受け入れ、私たちの歩みが決して自分一人のものではなくて、イエスと共に歩んでいくものだと理解したいと思います。
今の時代は、SNSなどで友達が増えているように見えながら、実は本当の友の数は減り、孤独になる傾向が強くなっています。しかし、クリスチャンとして歩むならば、決して一人ぼっちではなく、私たちを友と呼んでくださる救い主イエスが共にいてくださることを心から感謝したいと思います。イエスの中に本物の友の姿を見いだす者となるため、3つのことを確認しましょう。
1. イエスが私のことを友と明言される
教会に来ても長い間洗礼を受けないままの方に洗礼をおすすめすると、「心の中でイエスを信じていればよいのではないですか」と言われることがあります。でも心の中で本当に信じているならば、明らかにされてよいではありませんか。隠さなければならないものは、人生を動かす真理や土台にはなりません。それを明らかにすべきです。
イエスは、私たちとの関係を隠されませんでした。時々クリスチャンであることを隠している人がいますが、そういう思いが、クリスチャンとしての力を発揮することを妨げています。救い主であるイエスとの関係は公のものでありたいし、イエスが私たちを友と宣言し、公にされた関係であることを感謝したいと思います。
2. 友として神の奥義まで伝えてくださる
イエスが友であるときに、私たちのために隠し事をしないで、神の深い御心まで教えられていることを感謝したいと思います。私たちはみな聖書を持っていますが、あなたは聖書をどれほど読んでいますか。私たちは神の御言葉に親しみ、そこから神の御旨、御心を知ることができるのです。それは本当に大きな祝福です。
イエスは私たちを友と認めてくださって、他の存在には明らかにされない神の真理、神の奥義まで伝えてくださいました。パウロは、神を信じた者にしか与えられない真理があると語っています。友だからこそ、神の御心まで教えられていることを心から喜びたいと思います。
3. 友のために命まで捨てる
イエスは、友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はない(ヨハネ15:13)と語られ、それを単なる言いぐさに終わらせず、私たちを救うために本当に十字架にかかって死なれたのです。私たちは、救い主イエスに友として愛されているのです。
時に私たちは、孤独になることを求めながら、実際に孤独だと感じると、不幸だと思う。これは正に現代病だと思います。しかし、イエスとの関係で、私たちは選ばれ、救われ、愛されています。そして、イエスは私たちのために命まで捨ててくださったのですから、この愛をしっかり受け止めたいと思います。
私たちは決して一人ではなく、イエスが本当の友として私たちと歩んでくださることを感謝しましょう。その愛に少しでも応え、愛のある信仰者として歩んでまいりましょう。
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