「沖縄で輝く女性牧師達」と題した集会が8日、沖縄県西原町の那覇バプテスト教会で行われた。講師は沖縄で26年間牧会し、現在はクリスチャントゥデイで働いている宮村武夫牧師だった。
パウロは、1テモテへの手紙2章12節で「女が教えたり・・・することを許しません」と語る一方、ガラテヤ人への手紙3章28節では「男子も女子もありません・・・キリスト・イエスにあって、一つだからです」と語っており、教会では女性教職をどのように考えるか、さまざまな議論があり、意見が分かれてきた歴史がある。女性教職に対する考えの違いも意識しつつ持たれたのが、「沖縄で輝く女性牧師達」だった。
講師の宮村牧師は「無教会からカトリックまで」の学びを深め、さらに現在では「人間であれば誰でも」と語って伝道している。その宮村牧師と、沖縄で実際に働いている女性牧師たちが向かい合い、真剣に「対話する」集会だった。参加人数は10人だったが、対話そのものが「輝く」集会だった。参加した女性牧師たちからは、女性教職故に抱えてしまう具体的な問題も質問として出されたが、それらの質問に対して宮村牧師は2つの視点から応答した。
一つは神学的な視点。宮村牧師は、具体的な問題に対処療法的に答えるのではなく、男や女である前に「一人の人間」として、また「一人の牧師」として、神の前に立つことを強調した。そこでは、教職も信徒も、信者も未信者もなくなって、キリストにあって一つになる「牧会」を目指す明確な主張があった。
そしてもう一つは、沖縄での26年間の牧会生活で変わってきた、女性教職に対する宮村牧師自身の変化という体験的な視点だった。以前は、女性教職に関する議論に対しては沈黙する態度を取ってきたが、沖縄に移ってからは、女性教職が「語るべき時に語る」姿に目を開かれたと、自分自身の経験を紹介した。男性教職の方が社会的に自分を守る姿を身に付けているため、語るべき時に語らないのに対して、女性教職には守りがなく、恐れを知らず堂々と語っていく姿があったという。これこそ「沖縄で輝く女性牧師達」の発見だったのかもしれない。
神学的な視点と経験的な視点の2つの間で、参加者の誰もがあらためて「女性教職について(自分自身について)」考えを深め、さらに自由に意見交換する集会となった。「沖縄では女性教職は働きやすい」との発言も出たが、注目すべき発言ではないだろうか。最後に、沖縄では昔から女性教職が多くいたことが、一色哲著『南島キリスト教史入門』(新教出版社)で指摘されていることも紹介しておきたい。