2月3日(日)、那覇聖書研究会の礼拝で宣教(説教)を担当し、申命記16章11〜20節から「喜びにあふれ、義を追い求め」と題してメッセージを伝えました。その後の感話会では、辺野古で抗議を続ける70代、80代、またそれ以上の方々の心にあふれる喜びと明るさが、若い世代の心に迫り実を結んでいるという、石原艶子姉の報告などを聞きました。
その後、沖縄滞在時にはいつも利用している東横インに戻り、さまざまな方々と電話のやりとりが続く中で、埼玉・寄居の寄居チャペルの鮫島紘一先生から電話を受け取りました。ちょうどその日の礼拝の最後の時間に、小谷野つね姉が召天・帰天なさったことを告げ知らされたのです。
90歳を超え、施設で生活しながらも、主日礼拝に参加するのを喜び楽しみにしている中で、転倒のため入院されていたことは、私たちも承知していました。3月には、世話になった長男・忍望と一緒に、見舞いに行きたいと話し合っていたところでした。
小谷野姉との出会いは、私の生涯で大切な出来事が幾つか重なった1958年秋、日本クリスチャンカレッジ1年生、私の10代の最後の時でした。
カナダから来られたウィニフレッド・プライス、米国から来られたドロシー・ジーンズ両婦人宣教師の寄居での開拓伝道の手伝いを、両宣教師の伝道でキリスト信仰に導かれた同級生、雨宮巍(たかし)兄の紹介ですることになったのです。
当時、婦人宣教師は主日礼拝で説教することはありませんでした。それで私が、主日ごとに東京・杉並の日本クリスチャンカレッジから寄居まで出掛け、説教をするようになったのです。
確かに開成高校時代には、聖書研究会の高校3年生3人で、順番に中学生の集会で話した経験はありました。四国・松山の万代恒雄先生の開拓の手伝いをしていた期間にも、万代先生が外部奉仕の際、始まって間もない集会の礼拝で話をしたことはありました。
しかし、寄居の場合は毎週です。そこで、プライス、ジーンズ両宣教師や、後に横浜の共立女子聖書学院や東京キリスト教学園で長く働かれた若き日の坪田房子先生、そして天幕伝道を通しキリスト信仰に導かれた主婦の小谷野姉など、少数の深い祈りと愛に満たされた方々が、説教者の卵の孵化の経過を支え育てる労を取ってくださることになったのです。この方々は、私の最初の頃の説教をよく覚えていると言って、私の生涯のさまざまな段階で励ましてくださいました。
小谷野姉は、忍望を通して私たちの深い助け手となりました。
私たちが1967年10月、米国での留学から帰り、寄居チャペルの牧師に復職したとき、君代は両宣教師がされていた英語のクラスを引き継ぎ、それが私たちの生活の助けとなりました。君代がクラスを担当している時間、小谷野姉が忍望の面倒を見てくださったのです。
さらに小谷野姉は、忍望の最初の教会学校の先生でした。
当時を振り返りつつ、以下に、寄居キリスト福音教会(現・寄居チャペル)発行『月報』(1970年1月25日付)に載せた文章「アンヨをもって、テテもって」を再掲載します。
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2歳半になる長男・忍望が教会学校の幼稚科に出席するようになってから、種々興味深い事実を観察しています。たとえば、暗唱聖句についてです。
最初に習った暗唱聖句は、ガラテヤ5章13節の「愛をもって互いに仕えなさい」でした。「暗唱聖句は?」と聞くと、「アンヨをもって、テテもって」と忍望は答えるのです。初めは、何のことかまったく理解できませんでした。アンヨではなく、愛と言っているとばかり思い込んでいたので、どうして、テテ(手)が出てくるのか分からなかったのです。
しかし、やがて忍望が愛と言っているのではなく、アンヨ(足)と言っているのがはっきりすると、すべてが理解できるようになりました。
愛という言葉は、2歳半の忍望にとって、まったく無縁なものです。
ですから、愛という言葉を聞いたとき、その発音に比較的近い、アンヨ(足)と誤解したのは、至極自然なことといえるでしょう。アンヨと言えば、どうしても、テテ(手)が出てくるわけです。それで、暗唱聖句と聞かれれば、「アンヨをもって、テテもって」と答える理由が分かりました。分かってみれば、何でもないことです。
ところで、「愛をもって互いに仕えなさい」との励ましは、結局のところ、「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」と理解され、実行されねばならないのではないか。こうしたことを考えながら、ドストエフスキ−の『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。あの作品の中で、ゾシマ長老は、アリョーシャが信仰と愛とによって、この醜悪な世界を浄化し、美化していこうと目指すとき、「然(しか)るに実行の愛に到っては、何のことはない労働と忍耐じゃ」と語っています。
十字架というキリストのからだにおける卑下により、神の愛を示された私たちは、労働と忍耐を通し、自分の生かされた場所で実行の愛を具体化していく道を歩む。神の愛を賛美しながら、現実の人間生活から逃避することなく、身に受けた神の愛の故に、苦難と悲惨に満ちた現実にしっかりと留まり、与えられた生を他者との人格的交わりを通して生き抜く。これが、人間・私、キリスト者に求められている生き方です。
今年、私たちの信仰が、愛という抽象的な言葉に留まるだけでなく、手や足という具体化、現実化されていくことを願わざるを得ません。
「愛をもって互いに仕えなさい」と「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」とは、決して別のことではないようです。
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私たちが寄居の後、東京・青梅での牧会を経て沖縄へ行った際、坪田先生と小谷野姉が連れ立って沖縄を訪問してくださいました。それはまさに至福の数日でした。その沖縄で今回、小谷野姉の召天・帰天、そうです、凱旋の報に接したのです。感謝。
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