本書『神の国と世界の回復―キリスト教の公共的使命』には、長い稲垣久和先生との交わりの中で常に意識され続けてきた中心的課題が取り上げられています。東京キリスト教学園で繰り返し話し合いました。また、私が1986年4月、沖縄に移住したあとは、稲垣先生が名付けてくださった「論文手紙・手紙論文」のやりとりを通して距離の隔たりを越えて対話を続けてきたのです。
当時の稲垣先生の立場は、私から見ると病理学者の基礎医学的研究とその発表に専念なさっているように見えました。一方私は、地域教会とその説教に根差す臨床医学に従事する者との自覚で活動を続けていました。
そうした立場で相互に対する信頼に加えて、一つの堅い共通の基盤がありました。それは、今回本書のまえがきの冒頭で明示されているものです。キリスト信仰は単に魂の救済を約束する狭義の宗教ではない。創造者なるお方の人間と世界、万物に対する意思と計画を啓示する聖書に基づく深く豊かな人間観、世界観にほかならない。それゆえ、前者の主張に基づく宣教活動とは違う、聖書に堅く視点を置き、人間観や世界観を含む豊かな視野を持つ宣教活動が確立され、実践される必要があると確信していました。
あれから私たちはそれぞれ一貫した歩みを続けてきました。今、稲垣先生は、神学教育の枠はもちろん大学の枠をも越えて、「公共」「公共的使命」の明確な意識の下に、広い普遍的な世界に身を置き思索し発言執筆、さらに実践的活動を重ねておられます。その中から本書が生み出されたと理解します。
私といえば、地域教会に説教をもって仕えつつ、神学教育に専念する生活から形式的には解き放たれ、インターネットメディアに説教者としての召命に応答する心をもって従事しています。その日々の中で、稲垣先生との共通の基盤を、私なりに「聖書をメガネに」との標語・指針で自らに言い聞かせ、世に向かい提唱しています。
今回、心からの感謝をもって本書への応答をなしたいのです。その場合、本書の特徴を、稲垣先生ご自身が中心となって提示されている総論と各分野の研究者による各論との美しい調和・ハーモニーと見ます。
以下の各論の論者とその主題を一瞥(いちべつ)しただけでも、おのずから興味が湧いてきます。
第一章 新約聖書学における神の国 山口希生
第二章 賀川豊彦における神の国と教会 加山久夫
第三章 日本キリスト教史におけるキリスト教の公共性 山口陽一
第四章 天皇を中心とする日本の「神の国」形成と歴史的体験 黒住真
第五章 神の国と公共性の構造転換 稲垣久和
以上の各論を次回から一つ一つ、第五章で稲垣先生が端的に提示なさっている総論を十分に意識しながら味わっていきたいのです。
クリスチャントゥデイの働きに参与して以来、私は「聖書をメガネに」を一つの合言葉としてきました。その目指すところは、恩師渡辺公平先生との出会いで教えられた、三位一体(論)的認識論です。この視点に立つ、聖書の豊かな人間観、世界観についての著作をささやかなりとも手元に置いてきました。一寸の虫にも五分の魂、分に応じた思索と表現をと願ってきました。
ところが最近、渡辺先生の著作をはじめとする面々の著作に、畏友村田充八先生の好意で、村田先生の恩師春名純人先生によるご生涯の研究の総まとめ的著作が加わりました。これらと並行、さらには私にとってはより根源であり展開であるゲオハルダス・ヴォス(Geerhardus Vos)やエレナイオスの著作も助けです。確かに私の主張も興味も化石的であると言われても仕方ありません。ところがおっとどこいです。そこに実に新鮮な泉がこんこんと。
5回の各論についての応答の後、総論についても応答したいのです。その場合、春名先生の『キリスト教哲学序論―超越論的理性批判』をそれなりに参照できればと願っています。忍耐と希望のうちに地上に生かされる人間と「主よ、地はあなたの恵みに満ちています」(詩篇119:64)と信仰告白される被造世界についての有神論的理解と宣教への、一歩から一歩です。
■ 稲垣久和編『神の国と世界の回復―キリスト教の公共的使命』(教文館、2018年9月)
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