メリークリスマス! イエス・キリストのお誕生を、心よりお祝い申し上げます!
クリスマス! クリスマス! クリスマス! 今年もこの時期になると、日本中至る所でクリスマスの文字が踊り、クリスマスソングが街中に流れています。
多くの日本人は、クリスマスがイエス・キリストの誕生日だと思っていますが、実はお生まれになった時期は定かではありません。聖書に出てくる住民登録の時期や、母マリヤが馬小屋でイエスを生んだことなどから、春ごろだったのではとも考えられています。
今や全世界の多くの教会は、12月25日をクリスマスとしてお祝いしますが、東方教会などでは1月7日(ユリウス暦ではこの日が12月25日)をクリスマスとして祝う伝統を持っています。いつ頃から12月25日をクリスマスにしたのかについては、紀元4世紀の終わりごろにはそうなっていたことが分かっています。
またクリスマスに付きものの、プレゼントやクリスマスツリー、ビュッシュ・ド・ノエル(丸太の形をしたケーキ)などは、ヨーロッパにあった土着の風習から来たといわれています。そのため、ある教会では、異教の習慣を取り入れることは本来の意義を損なうことになると、クリスマスを避ける教会もあるのです。
しかし多くの教会では、そのことにとらわれず、12月25日をクリスマスとして、礼拝をしたり、お祝いをしたりします。イエス・キリストがお生まれになったことを世に知らせる良き機会であると考えているからです。
クリスマスは、人類の救いのためにこの世に来られたイエス・キリストのご降誕の記念日であるのです。スカイスキャナーという旅行検索サイトがありますが、「クリスマスの大さわぎを避けるための国ランキング」を、全世界を対象にしたアンケート調査をもとに出しました。その結果、堂々1位に輝いたのが、何と日本だったのです。2位以下はみな、イランやタイなどイスラム国家や仏教国家が続いていますが、なぜ日本が1位なのか。その理由は「街中でデリバリーをするサンタをたまに見掛けるくらいで、12月25日は休日ではなく、皆、普通通りに仕事をしているから」だそうです。また、日本のある若者たちがこう話していたそうです。「キリストさんはいい時に生まれたよな~。クリスマスだもんな~」
イエス・キリストがどのようにしてこの世に誕生するのかについて、旧約聖書には350以上もの記録がありますが、特にイザヤという預言者がイエス・キリストについて、4つの名前を挙げて説明しています(イザヤ書9章6節)。
まず第1に、イザヤはイエス・キリストを「不思議な助言者」(Wonderful Counselor)と紹介しています。不思議とは何でしょうか。不思議とは、人の理性では到底理解できない、その原因や理由が分からないものです。例えば、宇宙の中にぽっかり浮かんでいる地球ですが、どうして浮かんでいられるのか不思議でなりません。科学は宇宙が無重力であるといいますが、なぜ無重力なのかは説明していません。人が他の動物と違ってどうして言葉を話し、文化を築いているのかも不思議です。時に進化という言葉を使いますが、ではどうしてサルは進化が進まないのかについては、進化論は何も答えていません。これらはみな、科学だけで理解しようとすることの限界を教えています。唯物論的論理では解決されない、不思議な世界に働かれる神様が存在していることを教えています。
その不思議なる方を信じるなら、自分に対する神様の計画を知るようになります。新約聖書のローマ人への手紙8章28節には、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」とあります。聖書の言葉によって、不思議な神様が、生活の中に具体的な助言を下さるようになります。聖書によって、何が正しいことなのか、神様の望んでいることが何かを知るようになります。「なぜ人を殺してはならないのか」と子どもに聞かれ、親が答えることができなかったと聞いたことがありますが、聖書ははっきりと「殺してはならない」(出エジプト記20章13節)と語っているのです。
第2に、イザヤはイエス・キリストを「力ある神」(Mighty God)と言いました。今の時代は「実力の時代」といわれます。「〇〇力(りょく)」という言葉が至る所で使われます。商売でも、学業でも、子育てにおいても同じことがいえます。この「力ある」という言葉は、当時の王に民衆が求めていたものだともいわれます。百戦錬磨の勝利の王であってほしい。連戦連勝、負けを知らない王であってほしい。仮に自分が捕虜となっても助け出してくれる王であってほしいと。以前、イランで捕虜になった米兵を救出したジミー・カーター大統領の話がどこかに載っていました。そこには、この「力ある神」の話が載っていました。
小坂忠という音楽業界では名の知れたR&Bシンガーがいます。昔、幼い娘が重度のやけどを負いましたが、神様の奇跡が起こり、1週間後にはすべてが癒やされました。このことで彼はクリスチャンとなります。さらに70歳を迎えた昨年には、末期がんに侵されますが、奇跡的な回復を見せ、先月には3時間にわたるコンサートを開き、5千人が詰め掛けました。神様の力を体験しました。
第3に、「永遠の父」(Eternal Father)とイザヤは語りました。父親の仕事とは、子どもを保護し、養い育て、支えて愛し続け、社会性を教えることにあります。「永遠の父」なる神様が私たちに働かれると、すべての悪しきものから守ってくださり、私たちがつらく苦しい時にも、私たちの父として支え、励まし、愛してくださいます。社会でも成功するように助けてくださるのです。
最後に、イザヤはイエス・キリストを「平和の君」(Prince of Peace)と呼びました。「平和」とは国や民族、家庭や人間関係に戦いがないことです。心が平安であり、心身ともに健康であること、そして身の危険がなく安全であることです。私たちがイエス・キリストを救い主として信じ受け入れるなら、神様との「平和」を保つことができ、「たましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるよう」(ヨハネ三1章2節)神様は働かれます。人と人との間に「平和の君」なるイエス・キリストをお迎えし「平和」を保つなら、家庭や人間関係に争いがなくなります。
以前、どこかの政党のポスターに「国が平和でなければ、家庭が平和でなくなる」とありましたが、「平和の君」なるイエス・キリストを信じるなら、家庭に平和が訪れ、そんな家庭が増えるなら、国家も平和になっていくことでしょう。
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。(イザヤ40章30節)
人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。(ペテロ一1章24節)
しかし、まさにここに福音(良き知らせ)があります。イエス・キリストを救い主として信じるなら、与えられる素晴らしい救いがあるのです。悲しみが喜びへと変えられる福音、絶望が希望へと変えられる福音、見えないものが見えるようになる福音、不平不満が感謝へと変えられる福音が与えられるのです。
闇から光へ、争いから平和へ、イエス・キリストは2千年前、私たちのために来てくださいました。
2018年のクリスマス。教会に足を一歩進められ、クリスマスの主人公であるイエス・キリストと出会っていただきたいと思います。そこにはあなたに必要な福音があります。お近くの教会に、ぜひお越しください。すべての教会は、皆様をお待ちしております。
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