世界最高齢の修道女とされるシスター・セシリア・マリア・ローザック(110)が16日、死去した。
カトリック系のCNA通信(英語)によると、シスター・ローザックは1908年3月25日にポーランドで生まれた。21歳の時に、同国南部の都市クラクフでカトリックの修道会「ドミニコ会」の修道女となった。
ドミニコ会は第2次世界大戦中、ナチス・ドイツに抵抗するユダヤ人レジスタンス運動のメンバー17人をビリニュス(当時はポーランド領、現在はリトアニアの首都)の修道院でかくまった。彼らは万一、発見されれば処刑される状況だった。
イスラエルの世界ホロコースト記念センター「ヤド・バシェム」によると、修道院長のマザー・ベルトランダは自叙伝の中で次のように述べている。
「敬虔な修道女と世俗のユダヤ人左翼との間には、とても大きな違いがありました。しかし、両者の間に密接な関係が形成されました。先駆者たち(レジスタンス運動のメンバー)は、修道院の中に安全地帯を見いだしたのです。彼らは修道女たちと畑で一緒に働きながら、政治活動を続けました。そして、修道院長をイマ(ヘブライ語で「お母さん」の意味)と呼んでいました」
その後、マザー・ベルトランダは修道院を去り、ナチスによるユダヤ人の強制居住地「ゲットー」へ行き、アンナ・ボルコウスカという名で知られるようになる。しかし43年9月に逮捕され、修道院は閉鎖。シスター・ローザックはクラクフに戻った。
シスター・ローザックは84年、マザー・ベルトランダや他の修道女らと共に、ヤド・バシェムから「諸国民の中の正義の人」(正義の異邦人)と呼ばれる栄誉ある称号を授与された。これは、自らの命の危険を冒して、ナチスによるホロコーストからユダヤ人を守った非ユダヤ人の人々を表す称号。日本人では、ナチスから逃れてきたユダヤ人約6千人にビザを発給した杉原千畝が授与されている。