神戸聖ヨハネ教会の東を、小さな川が流れています。この川は「天井川」と呼ばれています。
この川を大切にしようと、周辺住民の有志で「天井川の自然を守る会」が結成され、定期的な水質・環境調査も行われています。
神戸は北には山が連なり、南には海が広がっている自然に囲まれた所です。聖ヨハネの教会の北にも山があり、そこで湧きだした水が天井川を流れて海に至るのですが、その上流は綺麗な清流で蛍の餌となる川蜷も棲息しています。毎年春になると、その清流沿いに群生している野生のクレソンと芹が楽しめます。
ところが教会に近いところになると、天井川の様子が一変します。両岸をコンクリートで固められ、自浄作用がなくなり、水は濁ってきます。生活雑排水も吐き出されます。また川には心なく投げ込まれた菓子袋や空き缶が浮いています。こうして汚れた水が海に流れていきます。
神戸聖ヨハネ教会には魚釣り名人がおられます。手作りのボートで漕ぎ出して、イエス様の弟子のように魚を捕らえます。しかし彼の話によると、このところ魚がめっきり減って釣果が上がらないということです。それは海が汚されているためだと言われます。長年、海と付き合ってきた人の言葉です。
七月二十日(今年は十九日)は「海の日」。一九九六年から守られていますが、この日は「海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の繁栄を願う日」とされています。しかしこの趣旨を大切にしようとするなら、まずはわたしたち自身の生活の仕方を見直さなければならないということだと思います。それなくして豊かな海を取り戻すことはできません。自然を汚さない、環境に悪影響を及ぼすことを無くすことに心を向けなければなりません。ゴミの処理の仕方、排水の方法などの知識を得、実施しなければなりません。
しかしそんなことは、わたしたちの信仰とは関わりのないこと、まして教区報の一面に載せるような話ではない、と感じておられる方もあるかも知れません。
しかしそうでしょうか。天地創造の物語の中で、神様が人間をお造りになった時、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と仰いました。人間は神様のお造りになったこの世界を保護する務めがあるということが真っ先に記されているのです。あるいはこんな風にも言えるのではないでしょうか。これは土井かおるさんという方の受け売りなのですが、こう語っておられます。「わたしたちの多くは、愛・出会い・自由といった言葉を織り交ぜながら、自分がクリスチャンとして在ることを語ります。では、愛・出会い・自由といった言葉の逆は何でしょうか?わたしは環境問題との絡みで言えば、それは、無知と慣れだと考えています。」(『福音と世界』四月号)
海と生命の深い繋がりが指摘されますが、そうだとすると海を大切にすると言うことは、わたし達自身の生命を大切にすることに直結しているということです。海の日を前にこんなことを思っています。
司祭 ヨハネ・角瀬克己(神戸聖ヨハネ教会牧師・洲本真光教会管理牧師)