巌窟王
愛する恋人と晴れの結婚式の最中。突然、式場に乗り込んできた警官隊が新郎を逮捕し連行して行った。彼は裁判にかけられ、無実なのに無期禁固刑を言い渡され、絶海の孤島の地下牢に閉じ込められた。
「神はなぜこんな不条理を許すのか!」。納得できない極度の苦悩の中で、自分を陥れた連中に対する憎しみと復讐(ふくしゅう)心に燃えて、彼は何度も脱獄を試みるがことごとく失敗。しかし、彼は決して諦めなかった。
たまたま獄中で知り合った年老いた神父から個人指導を受け、高い知識と上流社会の教養を身につけた。死ぬ直前に老神父は、スペイン王家から譲り受けたという「モンテ・クリスト島に隠されている巨万の財宝」のありかを、彼に教える。
遺体収容袋から老神父の遺体を取り出し、代わりに自分が入るという機転により、袋ごと嵐の海に投げ捨てられた彼は、死に物狂いで袋を破って海中から脱出。こうして実に投獄後14年目にして奇跡的な脱獄を果たした。
この主人公、エドモン・ダンテスは、脱獄後間もなくモンテ・クリスト島に渡り、巨万の財宝を手にする。以後「モンテ・クリスト伯爵」と名乗り、貧困にあえぐ人たちを助けながら、自分を犠牲にして贅沢に暮らしてきた連中に対し、次々と正義の復讐を果たしていく。
『巌窟王』(アレクサンドル・デュマ作)の痛快なストーリーである。おそらく、旧約聖書のヨセフの物語がモデルになっていると思われる。ヨセフは無実の罪で牢獄につながれたが、突然にエジプトの宰相に引き上げられ、大飢饉にあえぐエジプトとイスラエルを救った。
打ち破る力
この小説が新聞に連載されると、パリ市民は熱狂し、1回でも連載を休むとフランス中が大騒ぎになったという。それはなぜだろうか?「問題の獄舎からなんとかして解放されて自由になりたい」。「自分の願っていることを思う存分に成し遂げてみたい」。エドモン・ダンテス(後のモンテ・クリスト伯爵)が、見事にそれをやってのけるストーリーに、閉塞感に悩んでいた当時のフランス国民が共感したのである。
私たち日本人も慢性的閉塞感に悩んでいる。地震・災害・戦争の危機の増大、不況の長期化、教育・家族の崩壊、高齢少子化や引きこもりの拡大、価値観の無制限の多様化等々、閉塞感はますます募るばかりだ。新聞やマスコミの記事・論調も暗いものばかりで、社会全体がうつ状態だということができる。
この閉塞感を打ち破ることはできないのだろうか。閉じ込められたまま一生を終わるのだろうか。そんなことは決してない。その解決は聖書にある。なんの見通しもないまま、どんな難しい問題の監獄につながれていようとも、神の救いを待ち望んでいけば、神の時に神の方法によって、必ずそこから脱出できると書かれている。
かえって難問題の中で苦しみもがく過程で、自分を頼みとする自我が砕かれ、全能の愛の神に信頼する真に強い人に成長していく。最後には、自分を閉じ込めている問題の壁を打ち破り、まったく新しい人として自由の世界に飛び立つことができる。
ちょうど、長い間さなぎの中に閉じ込められていた幼虫が成長し、その力でさなぎの殻を打ち破り、美しい蝶に変身して外に出て、野原を自由に飛び交うのと同じである。
「待て!而(しか)して希望せよ!」 モンテ・クリスト伯爵の最後の言葉である。
「神の時を待ち続けなさい!それは必ず来る」「神に希望を持ち続けなさい!それは必ず実現する」
ちなみに、「モンテ・クリスト島」は地中海に実在する島である。「モンテ」は山を意味し、「クリスト」はキリストを意味する。
「主の山に備えあり!」(創世記22:11)
◇