ロマンチックとセンチメンタル
「山辺に向かいて我、目を上ぐ、助けはいず方より来るか。天地のみかみより、助けぞ我に来る。(賛美歌三〇一番)」若い時、こういう悲しい調子の賛美歌が好きでした。喜劇は人に楽しみを与えるが、悲劇は心を浄めると言ったのはシェイクスピアです。でも思い返すと、賛美歌は神様を讃美する歌であるのに、当時信仰の薄い私は、神様を讃美するよりも、自分の心情を歌っていた様に思います。それは、センチメンタルという事です。
人間の心情にロマンチックとセンチメンタルの二つの傾向があります。センチメンタルは過去を考え、あの時は良かった、この時は良かった、と言い、反対に未来に夢を見るのは、ロマンチックです。クリスチャンは、過去を贖われ、神様によって与えられる未来に幻を抱くので、本来ロマンチックなのです。「過去は良いのです。今からの一歩をキリストの愛に導かれて歩みます。光りあるうちに光りの中を歩んで下さい(三浦綾子)」。「忘れたはずの罪を思い出すならば、あなたは、カルバリの愛を知らない(エミー・カーマイケル)」。
デカルトとパスカル
森有正は東大のフランス文学の助教授でした。彼は、デカルトとパスカルという二人のフランスの思想家を研究するために、フランスに渡って、フランスに魅せられ、殆どフランスで生涯を送る事になりました。クリスチャンらしく思索した哲学者ですが、『近代精神とキリスト教』という本の中で、「デカルトは明証の人であり、パスカルは象徴の人である」と言っています。「明証」とは明らかに証明するという意味で、理性でそれを理解出来る事です。然し「象徴」は、象徴であって、説明出来ない自分以上の方によって支えられます。つまり同じ愛についても、その前に前提があって知っている、そしてその上で語っているいわば預言的なのがパスカルであり、逆に、愛とは何かと積み上げてそれを知ろうとする追求の姿勢を保つのがデカルトと言えます。二人とも著名な科学者であって、人間について、パスカルは、神様がいなければ説明出来ないと、最初から神様を認めますが、デカルトは人間を機械の組立の様に考えて行き、他方精神の存在も認めるが、その両者の関係については説明出来ないと匙を投げます。本当のキリスト教的思考は、パスカルのそれに近いのです。それは、キリストの愛を、始めから受け入れるからです。
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み神を慕いて:仲嶋 正一(著), 仲嶋 啓子(著) 単行本 (2002/07) 文芸社
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