わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 (ヨハネ14:6)
二つ目のことば「わたしは真理である」について考えてみましょう。
キリストは、十字架につけられる直前、総督ピラトの前で裁判を受けました。その時、ピラトは「真理とは何ですか?」と問いかけました(ヨハネ18:38)。真理とは何か、これは大きな質問でしょう。今でもこの質問は投げかけられ続けています。「真理とは何ですか?」「真理はあるのですか?」その声は世界中に、虚しくこだましています。
しかし、実は答えはあるのです。ピラトの「真理とは何か」との問いに、イエス・キリストは「わたしが真理なのです」と答えられたのです。真理について証明されたのではありません。「真理とはこんなものです」と教えられたのでもありません。「わたしが真理だ」と宣言されたのです。
☆真理は絶対
真理は相対的なものではありません。真理とは絶対的なものです。この世に絶対と言えるものはありません。あるとしても、人間は絶対に死ぬということぐらいでしょう。しかし、イエス・キリストは絶対者、神なのです。ですから、キリストだけが「わたしは真理である」と言い得たのです。キリスト以外のどのような宗教家も哲学者も、「わたしが真理だ」と言い得る人はありませんし、言うこともできないのです。彼らが指し示し、教えた真理はすべて、キリストを指していると言っても、言い過ぎではないでしょう。
☆真理は全人類共通
真理は全世界、全人類共通でなければなりません。真理は人間のもっている問題を本当に解決し、すべての人に救いを与えるものでなければなりません。人間は罪をもっており、死にゆく存在であると聖書は語ります。これは本当です。全人類は死に向かって、毎日行進しているのです。キリストが十字架にかかって死なれたのは、この人類の罪と死のためでした。罪の問題が解決されない限り、死の問題の解決はありません。しかし、罪の問題が解決すれば、死の問題も解決するのです。キリストが十字架上で死んで、三日目に復活されたので、キリストを信じる者はみな、この死に勝利することができるのです。
☆真理は不変
真理は変わることがあってはならないということです。聖書には、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じ」(ヘブル13:8)とあります。「わたしが真理だ」と言われる方は、変わることのない、永遠的存在者なのです。キリストは今日も生きておられる救い主です。彼のことばも変わりません。キリストの愛も、永遠に変わらない愛です。人間の愛は、「・・・・・・だから愛します」「もし・・・・・・ならば愛します」と、条件付きです。しかし、キリストの愛は無条件、「・・・・・・にもかかわらずの愛」なのです。
今日、イエス・キリストは真実の愛をもって、あなたを愛しておられます。この真実の愛を知る時、あなたの人生も変わるのです。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。 (ヨハネ8:32)
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。