世界的な大衆伝道者ビリー・グラハム氏の追悼式が2月28日午前、米首都ワシントンの連邦議会議事堂で行われた。グラハム氏の遺体は、議事堂のロタンダ(上院と下院を分けるドーム下の円形広間)に正装安置され、ドナルド・トランプ大統領や議会指導者らが弔辞を述べた。議事堂に正装安置される民間人は米史上4人目で、宗教指導者では初。式ではクリスチャン歌手のマイケル・W・スミス氏も出席し、グラハム氏ゆかりの賛美歌を歌った。
グラハム氏のひつぎがロタンダの中央に持ち込まれると、ポール・ライアン下院議長(共和党)が「ここに米国の牧師が横たわっておられます」と述べ、短いメッセージを伝えた。
「人は自分が何者であるかによってではなく、心と思いを尽くして仕えた相手によって偉大な者とされるのです。私たちはこの謙虚な僕(しもべ)の生涯と働きの故に、神に感謝をささげます」
連邦議会議事堂に正装安置されるのは通常、偉大な業績を残した政治家や軍の指導者ら。民間人としては、公民権運動の火付け役となった黒人女性、ローザ・パークスさん(1913〜2005)以来13年ぶりとなった。
トランプ氏は弔辞で、「今、この栄誉ある部屋の中央に伝説のビリー・グラハム氏が横たわっている。キリストの大使であり、世界に祈りの力と神の恵みの賜物を伝えた人物である」と語った。
また、1957年にニューヨークのヤンキースタジアムで開催された伝道集会に、説教するグラハム氏を見るために、父親のフレッド氏がトランプ氏の家族を連れて行った思い出を語った。
「私の父が、『ドナルド、ここに来てごらん。お母さんも来てごらんよ。ビリー・グラハムを見にヤンキースタジアムに行こうじゃないか』と私に言ったので、私は、ロサンゼルスの天幕集会から、10万人が集ったヤンキースタジアムの大会、そして1957年に16週間余りで200万人余りが集ったマディソン・スクエア・ガーデンの大会に至るまで覚えています。それは非常に特別なものでした」
「米国人は群れをなして、偉大な若い説教者の声を聞きに来ました。フレッド・トランプは(グラハム氏の)大ファンでした」とトランプ氏は付け加えた。
グラハム氏は、米国の歴代大統領や世界の指導者の信仰的助言者であったばかりでなく、世界中の虐げられた貧しい人々に対しても「熱い情熱」を持っていた。
「グラハム氏は最も貧しい人々や虐げられた人々、心に傷を受けた人々や刑務所の受刑者たちにメッセージを伝えました」とトランプ氏。「グラハム氏は行く先々で、『神はあなたを愛しています』というメッセージを繰り返し語りました。私たちは、グラハム氏の教えや祈りに触れられた人々、グラハム氏が変えた心、グラハム氏が和らげた悲しみ、そしてグラハム氏が多くの人にもたらした喜びを想像することしかできません」と続けた。
院内総務のミッチ・マコーネル上院議員(共和党)は、グラハム氏の生涯について「永遠に語り継がれるサクセスストーリー」のように聞こえるかもしれないが、「これは彼のストーリーではない」ことを忘れてはならないと述べた。
「グラハム氏は、名声や有名であることが真の成功の物差しではないことを誰よりもよく知っていました。彼の目標は、福音を1人でも多くの人に分かち合うというシンプルなものでした。グラハム氏は勝利があったとき(多くの救いが起きた場合)でも、それは露ほども人によるものではないと言っていました」
また、グラハム氏の言葉として「私の働きの秘訣は神です。神がおられなければ、私は何者でもないのです」を紹介。「これがビリー・グラハムという米国の牧師を作り上げたのです」と語った。
ライアン、トランプ、マコーネルの各氏に続いて、米国の国民的クリスチャン歌手であるスミス氏が「Just as I am」を熱唱した。これは、英国の女性詩人シャーロット・エリオット(1789〜1871)が作詞した有名な賛美歌だが、グラハム氏が伝道集会の招きでいつも使った歌でもある。スミス氏はグラハム氏の功績をたたえて、この歌を2014年にリリースした自身のアルバムにも収録している。
スミス氏が歌った後、参列者らの手によってひつぎの横に花輪が置かれ、上院のチャプレンであるバリー・ブラック氏が祝祷をささげた。祝祷の後、トランプ、副大統領のマイク・ペンス、ライアン、マコーネルの各氏がそれぞれの妻と共にひつぎに近づいて祈りをささげ、その後、出席者らが並んでグラハム氏一家にあいさつした。
グラハム氏の遺体は1日まで正装安置され、最後の別れのために一般市民が招かれる。正式な葬儀は2日、ノースカロライナ州シャーロットのビリー・グラハム図書館で行われる。