俳優の水澤心吾(みさわ・しんご)さんによる一人芝居「決断 命のビザ~SEMPO杉原千畝物語~」が上演300回を迎え、その記念公演会が25日、内幸町ホール(東京都千代田区)で開催された。
第2次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人を助けた日本の外交官、杉原千畝(ちうね)(1900~86)の生涯を、水澤さんがすべて1人で演じる。初演は2007年で、以来ロングラン公演を続け、08年には米ロサンゼルス、16年にはリトアニアの首都ビリニュスと、物語の舞台となったカウナスでの海外公演も実現させている。
10年にわたって1つの役を演じ続けてきた水澤さん。初めの1、2年間は声が掛からず、上演する機会は少なかったが、次第にその評判が知られていき、今では年間40回は上演しているという。新たな海外公演のオファーも来るなど、作品の知名度はどんどん上がっており、10年続けてきた積み重ねは大きいと水澤さんは感慨深げに話す。
また、5年前に自身もクリスチャンとなった水澤さんは、福音を伝える思いでこの芝居を行っている。以前は、武士道とか、大和魂といった解釈で杉原を演じていた。しかし今は、クリスチャンだった杉原がビザの発給を決断したのは、聖霊に突き動かされたことによると確信し、そのことを芝居でも表現するようにしている。
さらにビザ発給前、杉原が家族に「ここでビザを出さなければ、神を裏切ることになる」と言っていたことを知り、それをヒントに聖書の言葉も芝居の中に加えた。
舞台は、杉原が過去を回想するところから始まる。医師になることを望む父親の反対を押し切り、英語の教師を目指して上京。学費の工面に苦労する中、外務省の留学生募集の記事を見つけ、その人生が大きく動き出す。中国・ハルビン(現・黒龍江省)に留学し、帰国後に結婚。その後、外務省からフィンランドの首都ヘルシンキの日本公使館行きを任じられ、そこから物語の舞台となるカウナスの日本領事館へ。水澤さんのテンポのよい台詞と動きによって、躍動感ある舞台が続き、次々と展開される物語にハラハラさせられる。
そして、「命のビザ」の発給。その決断に迫られ苦悩する姿に、会場からはすすり泣きも聞こえてくる。「主よ、主よ」と何度も祈った後、ビザ発給を決断させる聖書の言葉が与えられる。
「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:12)
カナウスの領事館が閉鎖されるまでの1カ月間、寝る間も惜しんで発給し続けたビザは6千枚。ビザ一枚一枚に、一心不乱に自身のサインを書き入れ、手渡していくシーンは圧巻だ。舞台には1人しかいないはずなのに、たくさんのユダヤ人が水澤さん演じる杉原の周りで、ビザを受け取ろうと手を伸ばしているかのように見える。領事館を立ち退いた後も滞在先のホテルや、発車を待つ列車の中でもビザを発給し続ける。そしてベルリン行きの列車が発車となり、これでもう最後となったとき、1つの叫び声が聞こえた。
「ミスター・スギハラ、私たちはあなたを忘れない。いつか、必ず、必ずもう一度お会いします」
舞台では後半、ビザを発給した責任で外務省を辞めさせられ、愛する子どもを病で亡くすなど、その後の不遇な生涯が描かれるが、杉原はビザを受け取った1人の男性との再会を果たす。その人こそ、ベルリン行きの列車が動き出したときに叫んだユダヤ人だった。
上演後には、杉原の妻である幸子さんが、杉原のビザによって救われたユダヤ人やその家族と再会したビデオも流された。1枚のビザで1人の命が救われた。そして、その人が結婚して子どもを産み、またその子どもが結婚して子どもが生まれる。杉原は、発給したビザ6千枚分の命だけでなく、その何倍、何十倍もの命を救ったのだ。
また、16年のリトアニア公演の映像も映し出された。カウナスの領事館跡には、杉原がビザを発給したときに使った部屋が保存されており、水澤さんは杉原が使った机とも対面した。300回目の上演を終えた水澤さんは、最後に次のように話した。
「この10年間で変化したことは、救われたことによって人生が変わったことです。今は楽な気持ちで演技をすることができる。芝居を通して、新しい命があるということを人に伝えたい。今後、海外公演でニューヨークに行きますが、ユダヤ人が多いから、どう受けて止めてくれるか心配なところもあります。しかし、すべて神様にお任せです。神様が僕にあった実を実らせてくれると思っています」
■ 2016年のリトアニア公演デイジェスト