戦後間もなく、廃品回収で生計を立てる人たちが集まり暮らした「アリの街」(現在の隅田公園〔東京都台東区〕付近)で、献身的な働きをしたカトリック信者の北原怜子(さとこ)さん(1929〜58)が、23日で没後満60年を迎える。これに合わせ、隅田公園リバーサイドギャラリー(台東区花川戸1ー1)では、北原さんと、共にアリの街で奉仕したゼノ・ゼブロフスキー神父の活動を伝える写真資料展が20日から開催されている。オープニングセレモニーには、ヤツェク・イズィドルチク駐日ポーランド大使やジョセフ・チェノットゥ駐日ローマ教皇庁大使も出席した。
杉並区で大学教授の父の元に生まれた北原さんは、良家の娘として、数々の習い事をたしなみながら育てられた。何不自由ない暮らしをしていたが、戦争を経験する中で自分の将来を考え、手に職を持とうと薬学専門学校に進んだ。そして20歳の時、遊びに行った横浜の教会の雰囲気に心惹かれ、また妹の通うミッション・スクールでの聖書の学びをきっかけに洗礼を受けた。
受洗後「何か世の中に貢献することをしたい」と願い続けていた北原さんは、間もなくゼノ神父と出会う。戦前にポーランドから来日していたゼノ神父は、戦後は特にアリの街で戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に力を注いでいた。クリスマス会の手伝いを頼まれたことを機に、北原さんはゼノ神父の働きに身を投じることになり、自らもアリの街に住んで「バタヤの子」とさげすまれた子どもたちの世話をした。
堅信名が「マリア」だった北原さんは、「アリの街のマリア」と呼ばれ有名になった。しかし、肺結核を患ってしまう。静養のため東京を離れることも多くなり、子どもたちの世話をする後任者が決まった後には、修道院に入り修道女を目指すが、病状が悪化し断念。それからは、28歳の若さで亡くなるまでアリの街で生活し、最後まで子どもたちに無償の愛を注いだ。
2015年にはその福音的な生き方が評価され、カトリック教会から聖人、福者に次ぐ「尊者」として認められた。現在、ゼノ神父が所属していたコンベンツアル聖フランシスコ修道会によって、列福、列聖に向けた運動が行われている。
北原さんとゼノ神父の写真資料展は昨年7月、台東区内の別の会場で第1回が開催された。開催のきっけかは、主催者の1人である北畠啓行さんが、ルポライター・石飛仁さんの著書『風の使者ゼノ』で2人の存在を知ったこと。台東区生まれの北畠さんは昨年、「『風の使者ゼノ』を偶然手に取り、自分の生まれ育った土地にこのような歴史があることに衝撃を受け、これを後世に伝えていかなければと思いました」と語っていた。
また、週刊誌の記者時代にアリの街について知り、全国を飛び回って取材を重ねてきた石飛氏は、次のように話していた。
「空襲で焼け野原になり、ある意味、汚くて恐ろしいところになってしまった東京に、突然ポツンと現れた共同体がアリの街でした。そこで北原さんはまずクリスマスのイベントを企画して、それが大成功を収めたらしいのです。これがもし労働者たちに受け入れられなかったら、『なんだかうさんくさいキリスト教の人たちが入り込んできたぞ』といったうわさで終わってしまっていたでしょう。しかし、北原さんは本当に献身的に子どもたちに仕えたのです。無償でピアノを教えたり、教会学校のようなものを作って子どもたちを招いたりしていたのですね。こうした『人のやさしさ』というか『人としての当たり前の空気』に、当時の人々、特にここの労働者たちは飢えていたのでしょう」
第2回となる今回の展示は、北原さんの帰天日である23日まで。入場無料。詳しくは、同展実行委員会のフェイスブックを。