現存する最古の日本語訳聖書の翻訳に尽力した音吉の生誕200年などを記念して、出身地である愛知県美浜町で、音吉の銅像を建立しようと準備が進められている。美浜町と協力して音吉の顕彰事業を50年以上行っている日本聖書協会も、15日から献金の呼び掛けを始めた。
愛知県知多半島小野浦(現・美浜町)出身の船乗りだった音吉は、江戸時代末期の1832(天保3)年、他の船乗りと共に鳥羽(三重県)を出航し、江戸に向かった。しかし途中、遠州灘で遭難し、太平洋を1年2カ月もの間漂流する。北米西岸のフリッター岬に漂着したときには、音吉を含む3人だけしか生き残っていなかった。
3人は先住民や英国人に助けられ、日本に戻るため、ロンドン、南アフリカの喜望峰を経て、35年に中国・マカオに到着する。そこでドイツ人宣教師のカール・ギュツラフと出会い、現存する最古の日本語訳聖書である「約翰福音之傳」(ヨハネ伝)と「約翰上中下書」(ヨハネ書簡)(共に37年出版)の翻訳を助けた。
日本への帰国を切望していた3人だが、幕府の厳しい鎖国政策のために、結局帰国はかなわなかった。ギュツラフ自身も訪日できず、この聖書は開国後の59年、米長老派の宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンの手で初めて日本に持ち込まれた。
3人の中で最年少だった音吉は、後に洗礼を受け、マカオを拠点として船乗りや商人、通訳者として活躍した。日英和親条約(54年)の締結時には、英国側の通訳者を務めたほか、中国で日本人漂流民の救済に当たるなどした。
2017年が音吉生誕200年、没後150年、また音吉らによる日本語訳聖書出版180年の節目の年であったことから、音吉像建立実行委員会(齋藤宏一会長)が同年立ち上がった。音吉の功績を顕彰するとともに、これから世界に向かってはばたく若者のモデルにしてほしいと、今年8月の完成を目標にしている。製作者は、美浜町に隣接する常滑(とこなめ)市出身で日展会員の桒山賀行(くわやま・がこう)氏。2007年に日展最高賞の内閣総理大臣賞を受賞するなどしている。
建立予算は1千万円で、日本聖書協会はこのうちの300万円を目標に献金を募っている。寄付者は金額に応じて、名前が同実行委発行の記念誌(1万円以上)や銘板(10万円以上)に記載される。献金は、郵便振替、銀行振込、クレジット支払いのいずれかで可能。受付期間は4月末まで。詳しくは、同協会募金担当(03・3567・1980)または専用ページまで。