「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』・・・その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように』」(ルカ2:10~14)
ちょっと想像してみましょう。もしも世界にクリスマスがなかったなら?と。クリスマスプレゼントもなく、家族や愛する人々との温かみのある日々はなく、年の瀬を、ただ忙しく終わっていたかもしれません。クリスマスの訪れとともに、戦場が、平和と一致の場所に変わった、あの戦場の奇跡もなかったかもしれません。私たちの社会は、歴史は、もっと暗いものになっていたと思います。
1. クリスマスの意味を知ろう
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11節)。ここでの5W1Hを考えると、When は今日。神の言われる永遠の中での今は、常に今この時を意味します。Where はダビデの町で。神の救いや喜びを待ち望む今の私たちの人生の戦場に。Who はイエス・キリストといわれる救い主が、What はあなたがたのため、いえ私のために、Why は人々を救うために。How はお生まれになった。ここが重要です。聖書は、難しい宗教の教えではなく、事実が記されているのです。
2千年前の大昔ではなく、将来のいつかでもなく、今日という、神の救いを求める、私のいる所に、救い主御子イエスが、キリストとして明確に現れてくださったのです。「今日、イエス様、私の救い主となってください」と呼び求めるとき、あなたの心の中の飼葉おけの中に、キリストはお生まれくださるのです。キリストの恵みは、今を生きる私たちの人生の現場に具体化される事実としての恵みです。
2. 価値ある命
私たちは、しばしば失敗を繰り返したり、つらい経験があると、自分は何の価値もないむなしい人間だと、悲しい思いにさいなまれることがあります。しかし、キリストが人として現れてくださり、私たちの罪を背負って十字架で死んでくださったことにより、私たちの罪が取り除かれ、神の命が与えられました。どんなに小さく見える私たちであっても、天地宇宙を造られた偉大な神の命につながり、神の偉大な愛に結び付けられているのです。取るに足りない私たちを、神がイエス・キリストを通じて、価値ある命としてくださったことを感謝しようではありませんか。
3. 神にとって不可能なことは1つもない
クリスチャンとして救い主イエス・キリストを見上げて歩むとき、「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカ1:37)。全知全能の神が共におられることを感謝しましょう。その神が、私たちの祈りに答え、弱い者に力を、争いや敵意に襲われている者には平和を、苦しんでいる者には、聖霊の導きによる、勝利を与えてくださいます。人の力では実現できなかった平和、神の栄光、恵みと力、不可能を可能にする恵みが、私たちの人生に現されます。
共に、「イエス様、今日私の心に、あなたが救い主としてお生まれくださいました。私の汚い心の飼葉おけの中に休んでくださり、私と共にいて、素晴らしい命の物語を始めてくださるイエス様、感謝します。心からイエス様をほめたたえます」と、感謝の祈りをささげましょう。
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