米カリフォルニア州トーランス在住の有元美佐子(ミコ・ハゴット・ヘンソン)さん。1937(昭和12)年、東京生まれの80歳だ。
ミコさんが関わった本が今年出版された。大倉直著『六市と安子の「小児園」―日米中で孤児を救った父と娘』(現代書館)。父娘2代にわたる孤児救済の姿を描いた、今まで知られなかった感動の実話だ。
1914(大正3)年、移民の日本人児童のための養護施設をロサンゼルスに設立した大分県出身のクリスチャン、楠本六市(くすもと・ろくいち)。彼は、手足にひどいやけどを負った孤児を安子と名付け、自分の娘として育てた。やがてその安子が父の信仰と意思を引き継いで、日中戦争のただ中にあった中国へ単身渡り、孤児のために小児園を作った。この活動は南カリフォルニアのキリスト教団体による寄付で支えられ、また古屋安雄氏の父親が登場したりするなど、キリスト教界とも深い接点がある。
ミコさんは2006年にクリスチャンの映画監督、山田火砂子(ひさこ)氏と知り合い、その映画制作の姿勢に共鳴して、映画「石井のおとうさんありがとう」をロサンゼルスで上映した。これは日本初の孤児院を創設したクリスチャン、石井十次の生涯を描いたものだが、上映後、日系アメリカ人3世の参加者から、「ロスにも戦前に同じような人がいた」という情報提供を受けた。ミコさんは、「私も日本人も知らない小児園の存在を調べてみたい」と、1905年の下船記録の中に六市の名前を見付けたところから、10年がかりで調査した史料がこの本の基になっている。
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ミコさんが米国に渡ったきっかけは、日本人に英語を教えていたベン・ハゴットさんと1963年に出会ったことだった。やがて帰国したベンさんから連絡が来た。
「ベンが病気になった時、うちの家で療養させてあげたのですが、そのお礼にとアメリカに呼んでもらったのです。私が25歳の時でした」
ミコさんはその後、留学のために米国に渡り、そのままベンさんと結婚した。家族には事後報告というかたちで告げたという。
「それから55年になります。夫は本当にすばらしい人で、『自分のことはどうでもいいから、人のために何でもする』という人でした。私は、『この人のそばにいたら自分も少しましになれるかしら』と思って結婚したのです。夫は私が50歳の時に亡くなりましたが、ソウルメイトです。今も思い出すと、涙が出てきます」
しかし、ミコさんは米国に住んでみて大きなショックを受けた。
「戦時中、『英米鬼畜』と教えられて、私は竹やり訓練もしました。一方、アメリカ人も、日本人が足袋(たび)を穿(は)いているのを見て、『豚の蹄(ひづめ)のようで人間でない』という教育を受けていました」
またミコさんは米国で暮らす間に、日系アメリカ人1世たちが戦時中、2つの祖国の狭間(はざま)でどんなに苦しい思いをしたかを知った。さらに、日米間のさまざまな貿易摩擦にも直面することに。こうした現実を目の当たりにして、これからは日米友好のために尽くそうと決意したミコさんは、自らの住んでいるトーランスと千葉県柏市との姉妹都市運動に尽力し、1973年に締結が実現した。
「とにかく戦争をしてほしくない。人類が皆、親戚になれたら戦争は起きない。だから、海の向こうに親戚を作りたかったのです」
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ところで、ミコさんの父親である有元史郎氏(1896~1938)は芝浦工業大学の創立者だ。1927年、30歳の若さで同大の前身である東京高等工商学校を作り、その10年後に亡くなった。そのため、創設者が誰か、長年、明確にされることはなかったという。
その後、姉妹都市提携のため柏市役所を訪ねた時、何気なく「父は芝浦工大の創立者です」と自己紹介をしたら、市役所の担当者の兄が芝浦工大の教師をしており、ちょうど創立50周年で校誌をまとめるところだった。これがきっかけで有元氏が本当の建学者だと知られるようになったのだ。
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ミコさんがクリスチャンになったのは、ベンさんを亡くした後、50歳を過ぎてからだ。
「私はずっとキリスト教が好きではありませんでした。しかし、神様は信じていました。神様は私を愛して、すごくよくしてくださいます。『神様はご利益でなく感謝の対象だ』。私はずっとそういう哲学を持って生きていました」
そんなミコさんが初めてキリスト教に触れたのは、クリスチャンの友人を通してだった。兄が精神的な病で自殺未遂をし、その入院中、ミコさんが帰国して世話をしていた時、その友人に吉祥寺集会に誘われたのだ。不思議にもそこに4人の知り合いがいたという。
「自己紹介をすると、『お久しぶりです』と声を掛けられたんです。それは、米国でPTA仲間として知り合った女性でした。その後、彼女は帰国したのですが、それ以来の再会だったので、本当に驚きました」
さらにある男性から、「リース・ハゴットさんを知っていますか」と聞かれた。息子のリースは在米日本企業で働いていて、この人はその仕事仲間だったという。
「3人目は歯医者でした。義姉が歯医者と結婚をしているんですが、彼と同じ学校で学んだというのです。最後の4人目は、兄が前住んでいた家の大家さんでした」
そこでドイツ人宣教師の故ゴッドホルド・ベック氏から、「信仰は啓示だよ。勉強をして分かるものではない」と言われ、ミコさんは「嫌だな」としか思わなかったが、「宗教と信仰は違うよ」という言葉は心に残ったという。
早速、兄に報告したところ、その不思議な出会いに「何かがある」と共感して「そこに行ってみようかな」と言ったのです。ミコさんはうれしくて、思わず「神様!」と言ってしまったという。「それでも偶然はあるわ」と、それ以上深く考えることはなかった。
その後、退院した兄を米国に連れて行き、療養生活をさせることになった。ミコさんは兄に聖書を読んで聞かせ、賛美歌のテープを流してあげたという。それはただ兄の心を落ち着かせるためだった。
いつものように聖書を読もうとして開いたのは詩編103編だった。その箇所を読んでいるうちに、自分でも何が起きたか分からないが、わーっと涙が出てきたという。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2、新改訳)
「感激とか感動じゃないの。まさに慟哭(どうこく)が始まりました。青天の霹靂(へきれき)で、まったく訳が分からない、生まれて初めての経験でした。この経験を通して、私が信じていた神様は聖書の神様で、今までよくしてくださった神様が、『それは私なのだよ』と知らせてくれたと思い当たりました」
ベック宣教師から「信仰は啓示だよ。勉強をして分かるものではない」と言われた言葉が、今は理解できるという。ミコさんは何度も「感謝、感謝」という言葉を繰り返した。「神様はよいことばかりしてくださる」と。
「クリスチャンになって、愛の違いが分かりました。人は何かをして、そのお返しとしての愛があると思います。でもそれは、いわゆる『宗教の神様』や人情(ヒューマニティー)における『愛』であって、本当の神様の愛はまったく一方的なんです」
六市と安子の物語も、ほかの人のために尽くす本当の愛をミコさんが知ったから、この時代によみがえることができたのかもしれない。
大倉直著『六市と安子の「小児園」 日米中で孤児を救った父と娘』
2017年6月3日初版
216ページ
現代書館
1800円(税別)