1549年にキリスト教が伝来してから今日まで、なぜクリスチャンでない日本人が毎年、クリスマスで大騒ぎするのか。当時のクリスマスの様子を伝える書物、新聞や雑誌の記事などを丹念にたどりながら、その謎に迫ったのが本書。
著者の堀井憲一郎氏は、吉野家の店舗ごとに牛丼のつゆの量が違うなど、ユニークな発想に基づいた調査をする「何でも調べるフリーライター」。著書に、『ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎』(文藝春秋)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『若者殺しの時代』(講談社現代新書)などがある。
「『クリスマスの馬鹿騒ぎ』は明治時代から始まった。・・・20世紀の日本にはいつでもクリスマスがあった。しかし、その歴史を通して語った日本人はいない。いたとしても見つけられない。キリスト教徒ではない日本人が、キリスト降誕祭(クリスマス)に大騒ぎをするのは、日本人ならではの知恵なのだ。その経緯を細かく説明していく」(序章から)
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着したのは8月15日。すると、日本で初めて降誕祭が祝われたのはその年の12月のはずだが、残念ながら、その2年間の滞在中、日本でクリスマスが祝われた記録はない。
史料で確認できる日本で最古のクリスマスは1552年。ザビエルと共に来日したコスメ・デ・トルレス神父が、当時の拠点だった山口で日本人信徒らと共に降誕祭のミサを行った。またその2年後、「世を徹して、創造主の話を聞いた」と、簡素かつまじめなクリスマスの模様を、イエズス会士が本国に報告している。
それから十数年、鹿児島や山口、長崎などでクリスマスが祝われたことが報告され、1566年、大分における降誕祭には、信者でない人も参加したとの記録がある。このあたりから、説話(説教)ではなく、一般大衆向けの「演劇」が行われたという。今日の教会も地域の人を招いて聖誕劇を披露するが、今から約450年前にすでに伝道の一環として同じことが行われていたのだ。
しかし堀井氏は、ノンクリスチャンがクリスマスに教会に集まったのは、クリスチャンの思惑とは違うことを冷静に指摘する。
「異国の文化」が物珍しく、集まってきた、という側面がある。キリストの教えには興味がなくても、異国文化に対する憧憬(しょうけい)から近づいていく人は、戦国の昔からいたわけである。いまの日本人の心境とあまり変わりがないようにおもう。
確かに、結婚式にチャペルを選び、司式する神父・牧師に外国人を望むカップルが少なくないというのも、「異文化に対する憧憬」なのだろう。
1587年、バテレン追放令が出ると、このようなクリスマスの情景は日本から姿を消した。隠れキリシタンらは、信仰を共にする者だけで密かにこの日を祝ったが、当然ながら、以前のように演劇や説話を地域の人々と共にすることはできない。
それから300年近い禁教の時代を経て、1873(明治6)年にキリシタン禁制の高札の廃止、そして89年、大日本国憲法によって、ようやく信教の自由が認められるようになった。ただ堀井氏によると、それでも「積極的には(キリスト教を)認めていない。キリスト教国との付き合いのため、その体制を整えていく過程である」と、これまた手厳しく分析する。
明治時代、史料に残っている最初のクリスマスは、1874年、築地の外国人居留地で行われた。ジュリア・カロゾルスが創設した女子学院(当時のA六番女学校)校内で原胤昭(たねあき)らが開いたものだ。女子学生による聖句暗唱、対話、唱歌などがあり、殿様風のサンタクロースが登場するという、すでに日本文化をしっかり取り入れたオリジナルのものに仕上がっていた。
ただ、明治初期のクリスマスは、主に居留地内で「他者の祭り」として盛り上がりを見せ、それを新聞が報道していただけだった。しかし1906年、日露戦争に日本が勝利した頃からクリスマスの様子が一変する。「馬鹿騒ぎ」が始まったのだ。いったい何のために騒いでいるのかは分からないが、とりあえず「騒ぐ日」とされた日本のクリスマスは、なんと帝国ホテルで始まった。寄席演芸のような出し物を見ながらお茶を飲んで騒いでいたという。「堅苦しいアーメンなどの言葉はなかった」と当時の新聞は記す。
すでに土着化の一途をたどる日本のクリスマスは、大正時代を迎えると、教会が主催する「子ども向け」の行事になっていく。そこに大人は介入せず、あくまで子どもだけのものだった。「子どもは6年間、ミッション系の中高一貫校に通ってもキリスト教徒になることはない」のは今とほぼ同じだと堀井氏は説明する。クリスマスやキリスト教の外側だけを受け入れ、中身を受け入れない日本独自の文化なのだ。
昭和に入ると、教会で行われていた子ども向けのクリスマスが、ついに企業の手に渡る。菓子メーカーなどがこぞって、菓子などをお土産にしたクリスマス会を主催するようになったのだ。とはいえ、戦争の足音が聞こえてくると、徐々にクリスマスの馬鹿騒ぎが沈静化する。
日本のクリスマスが狂瀾し始めるのは終戦後。大人たちはダンスホールで夜通し大騒ぎするようになり、クリスマスセールも開催されるようになる。まさに「キリストの欠席クリスマス」だ。
その後、酔っぱらった千鳥足のサラリーマンがクリスマスケーキを片手に家に帰るホームクリスマスが主体となり、時代は徐々に、理由もなく「クリスマスは消費する日」になっていく。
バブル期を迎えると、「ロマンチッククリスマス」が台頭。若いカップルのためのクリスマスが定着する。一時は、都内の高級ホテルのスイートルームが1年前から予約で埋まるなど、異常な「狂瀾ぶり」を見せた。
2000年代に入ってもその狂瀾ぶりは変わらないが、世相を反映してか消費は大幅にダウンする。それでも「ロマンチック」だけは根強く残り、最近のはやりはイルミネーション。カップルでこれを見に行くことが定番になりつつある。
最終章で、堀井氏はこのように締めくくっている。
日本におけるクリスマスの歴史を調べるとういうことは、日本とキリスト教の不思議な関係を目にすることにもなった。・・・キリスト教側に熱があふれていて(キリスト教徒にしたいという熱である)、日本側はおそろしく冷淡である。やがて、日本人は、「キリスト教」の中身にどんな興味も持っていないのだ、と気がついた。私も含めて、徹底して遠ざけている。知識としては興味をもつが、感情を触れ合わないようにしている。おそらく無意識に面倒を避けようとしているんだとおもう。・・・クリスマスの大騒ぎは、キリスト教の教えを受け入れないという宣言でもある。
クリスチャンは、こうした日本のクリスマスの歴史を知って「なるほど」と思う半面、「ここから私たちはどうすればよいのか」との問いに直面させられるのではないだろうか。キリスト教の外側だけを受け入れようとする日本のクリスマスと、主イエス・キリストの降誕を祝う教会のクリスマス。そのすれ違いが、どうすれば幸福な出会いとなっていくのだろう。
アドベントに入って、これから教会学校のクリスマス会やイブ礼拝、祝会が行われていく。その時、クリスチャンである私たち一人一人が、その心にキリストをいただいた喜びを示すことこそ、99パーセントの日本人への大きな「クリスマスプレゼント」になるのではないだろうか。
堀井憲一郎著『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』
2017年10月18日初版
256ページ
講談社
840円(税別)