横田早紀江さんを囲む拡大祈祷会(主催:横田早紀江さんを囲む祈り会、全国ブルーリボンの祈りの会)が9日午後、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センター8階チャペルで行われた。一般メディアも入って撮影や取材が行われる中、多胡元喜いのちのことば社前会長が司会をし、早紀江さんと同じ教会員のMigiwaさんが賛美した後、早紀江さんが証し、「救う会」会長の西岡力(つとむ)氏が北朝鮮状況の報告、そして巡回伝道者の福澤満雄氏が聖書からメッセージを語った。その後、会場に集まった200人以上がそれぞれ祈祷課題をもとに祈り合った。
早紀江さんはまず、夫の滋さんが洗礼を受けたことを、喜びに満ちた表情で報告した。
「今日はうれしいニュースがございます。新潟でめぐみがいなくなった時、私の主人はめぐみを捜し回って、泣きながら『神も仏もあるものか』と叫んでいました。その時から『本当の宗教なんていうものはない。自分が強くなければ駄目なんだ』と言って、ちょっとでもキリスト教のことに触れると怒っていたようなお父さんでしたが、私が教会に通うことには反対しませんでした。
そのように長い間、神様を拒んでいた主人が、今月の4日に中野島キリスト教会の國分広士先生によって洗礼を受けさせていただくことができました。國分先生が『神様を受け入れますか』と聞くと、主人は『はい』と言って素直に、にこやかに返事をしていました。体が弱っていますので、今回は特別に自宅に先生に来ていただいて、滴礼で受洗をさせていただきました。
本当にものすごい短い時間に、突然何が起こったか分からないような、爆発が起きたような感じで、私は『本当にこんなことがやっぱりあるんだ。不思議なことが起きるなあ』ということを改めて感じさせていただき、感謝の思いでいっぱいでございました。
新潟の五十嵐キリスト教会で私を導いてくださったマクダニエル先生、いつも主人の救いのために『祈っていますよ』と声を掛けてくださった先生は今は天に召されましたけれども、本当に天でどんなに喜んでくださっているだろうかと思います」
また、来日したドナルド・トランプ米大統領と6日午後に東京・港区の迎賓館で約30分間面会した時のことを伝えた。
「お部屋に入りましたら、今回はいつもと違って、ひざをつき合わせて、目の前に大統領と、その横に美しい奥さま(メラニア夫人)がいらして、びっくりしました。その時、私が持っていためぐみの写真を『ちょっとそれを貸してください』と言われて手を出されたので、お渡ししました。それを何とも言えない表情、真剣な強いまなざしで見られて、奥さまにも見せられて、そして私を見て『頑張りなさい』とあたたかい微笑(ほほえ)みを浮かべて言ってくださった、とても印象深い会見でした。
また、国連の演説でトランプ大統領が『(北朝鮮は)13歳の日本人の少女(めぐみさん)を拉致した』と取り上げられたことは私もびっくりしたんですけれども、そのことを『心から感謝します』と言いまして、『難しい問題ですけれども、ご尽力いただきますようによろしくお願いします』とお伝えしました。
めぐみちゃんも何らかの使命を持って、こうして一生懸命耐え忍んで、帰る日を待ち望んでいると思います。私も涙が涸(か)れ果てて、年がら年中、目薬を差しているような状態ですけれども、本当に早く喜びの大泣きをしたいと思いますので、どうぞこれからもお祈りくださいますようによろしくお願いします」
福澤氏は、出エジプトをしたイスラエルの民がアマレク人と戦った時、モーセが山に登って神に祈り、後継者ヨシュアらが戦って勝利したエピソード(出エジプト17章)は、めぐみさんが帰ってくるために祈り続けている今の霊的な戦いと同じだと語った。その時、モーセは80歳(7:7)を超えていて、ちょうど滋さんや早紀江さんもその年齢にあるとして聴衆の笑いを誘った。
モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。(17:11~13)
北朝鮮がミサイルを撃つと、米国や日本が圧力を掛けるというシーソーゲームのような現在の状態と、出エジプト記の出来事はそっくりだという。やがて、めぐみさんが日本に戻ってきた時、「政府がよくやった」という話になり、その背後に祈りがあったことを伝える新聞やニュースはないだろうが、だからこそ神様はモーセに次のように言われたのだと福澤氏は強調した。
「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ」(17:14)
早紀江さんは1936年、京都市生まれ。63年に滋さんと結婚し、翌年、名古屋のカトリック系の聖霊病院で長女のめぐみさんを出産した。日本銀行に勤める滋さんの転勤により新潟に引っ越してきたのは、事件の起こる1年前のことだった。
1977年11月15日、めぐみさんは当時、新潟市立寄居中学校1年生で、13歳になったばかり。所属していたバドミントン部の練習を終え、すでに日の沈んだ海岸に向かう暗い道を歩き、一緒にいた友だち2人と別れて、自宅まで数分というところで忽然(こつぜん)と姿を消した。
いつまで経っても娘が帰ってこないのを心配して、家族は必死にその行方を捜し、警察も捜査を進めたが、目撃者や遺留品さえ見つからなかった。その頃、めぐみさんは北朝鮮の工作員によって連れ去られていたのだ。それから今年で40年になる。
早紀江さんは、めぐみさんが失踪した翌年、友人に勧められて聖書を読むようになり、めぐみさんが成人となる1984年、日本同盟基督教団五十嵐教会(新潟市)で受洗した。93年に滋さんが日本銀行を定年退職後は一家で神奈川県川崎市に移り住み、日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会(神奈川県川崎市、國分広士牧師)に所属している。
1997年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されていることが分かり、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)や、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成された。2000年、「横田早紀江さんを囲む祈り会」が始まり、今も毎月行われている。