長崎に原爆が投下されてから9日で63年目を迎えた。長崎市の平和公園では午前10時40分から長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(市主催)が行われ、原爆投下時刻の午前11時2分、福田首相、舛添要一厚生労働相をはじめ被爆者や遺族ら約5400人が一斉に黙祷をささげた。田上富久市長は平和宣言で、カトリック信徒で自ら被爆しつつも被爆者治療に尽力した永井隆博士(1908‐51年)の残した言葉「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」を引用。「博士の言葉は、時を越えて平和の尊さを世界に訴え、今も人類に警鐘を鳴らし続けています」と平和の尊さを世界に訴えた。
爆心地に近い長崎市本尾町の浦上天主堂では、早朝から犠牲者を追悼するミサが行われ、信徒約800人が祈りをささげた。原爆投下直後、浦上天主堂の建物は一瞬にして全壊。地元の信徒8500人が犠牲となった。信徒会館にはいまも、焼け跡から掘り出された聖器や被爆して変色したレンガや瓦など、当時の状況を伝える貴重な資料が展示されている。
「長崎の鐘」の著者として知られ、今年生誕100周年を迎えた永井博士は、長崎で被爆し重症を負いながらも、直ちに救護班を組織し被爆者の救護に当たり、自ら原爆症と戦いながら著書で原爆の恐ろしさを伝えた。また、原爆で傷ついた地元の人々に慰めと希望を与えたいと、浦上天主堂や被爆地の小学校などに約1200本の桜の苗木を贈呈。その多くはすでに枯れたり代替わりしているが、地元の人々からはいまも「永井千本桜」と呼ばれている。同市若草町のカトリック城山教会では8日、地元の元民放アナウンサー4人が永井博士の著書を読み上げる朗読会を開き、集まった人々に平和の尊さを伝えた。