日本人で初めて救世軍士官となった山室軍平(1872~1940)。岡山県北に生まれ、京都の同志社で新島襄のもとに学び、岡山孤児院を作った石井十次に勧められて救世軍に入隊。日本人に分かりやすいたとえを使って伝道するキリスト教入門書『平民の福音』を著し、貧困ゆえに遊郭に売られた少女を救う廃娼運動に尽力した。その生涯をさわやかに描いた映画「地の塩 山室軍平」が21日から、東京の新宿武蔵野館、軍平の出身地・岡山のシネマクレールなど、全国で順次公開される。山室夫妻を森岡龍さんと我妻(わがつま)三輪子さん、新島襄役を辰巳琢郎さん、石井十次役を伊嵜(いさき)充則さんが演じる。107分。
軍平と同じ同志社出身である東條政利監督に話を聞いた。
――東條監督はクリスチャンではないと伺いました。山室軍平の生き方に、どんな印象をお持ちになりましたか。
「人のために生きたい」と行動する情熱を持って、不器用でも愚直に、大きな壁があってもどんどん前に進もうとするその人間性に惹(ひ)かれました。映画でそれが十分に描き切れたかは分かりませんが、私も自分のやれることはやり切ったと思っています。この映画を通じて、彼の業績よりも人としての生き方を、映画を観てくださった方々に感じていただけたらと思います。
――軍平は泣き虫で一直線というキャラクター造形でした。その生涯を描くにあたって大切にされていたことは。
それぞれの登場人物のキャラクターをしっかり出すこと、そして、周囲の人たちを描くことを通じて、軍平のキャラクターを魅力的に見せたいと思いました。真面目すぎるほど真面目なんですが、魅力的に感じるような人物に描くことです。彼の真っすぐさや情熱から、何か人を惹きつけるようなものが出せればいいなと思いました。
――さわやかな青春映画を観た思いがします。東條監督の好きな映画監督は。
溝口健二、ジャン・ルノワール、ジョン・カサヴェテスです。古い映画ばかりですね。
――監督はクリスチャンに対してどのようなイメージをお持ちですか。
私が同志社大学に通っていたこともあり、周りにはクリスチャンは多くいました。クリスチャンと言っても人それぞれだと思っています。私は関西にいた時に、「日本寄せ場学会」というところに参加しており、大阪の釜ヶ崎の「ドヤ街」に行く機会がよくありました。その時、釜ヶ崎で生活する人たちに対する献身的なクリスチャンの方々の姿はよく覚えています。
――東條監督が大学に入学されたほぼ100年前に軍平も同じ同志社で学んでいました。この映画も今出川キャンパスで撮影されています。
取材で大学を訪れ、ここには新島先生が実際にいて、軍平がこの校舎で学んでいたと考えると、不思議な感じがしました。当時もあった校舎で着物姿の学生が学んでいるところを実際に撮影していると、19世紀頃の大学を見るような不思議な懐かしさも感じました。
――東條監督が軍平のことを初めて知ったのは。
もう30年近く前です。大学時代に中公文庫で出ていたその著書『社会廓清(かくせい)論』を読んで知りました。
――朝ドラ「あまちゃん」で尾美としのりの若き日を演じた森岡龍さんや、同じく「とと姉ちゃん」の多田かをる役の我妻三輪子さんなど、絶妙なキャスティングでした。どうして2人を山室夫妻に選んだのですか。
森岡さんは、芯が強そうなキャラクターが軍平と合うと思いました。妻の機恵子(きえこ)を演じた我妻さんは、黙っていると無愛想な感じなのですが、笑顔がとてもチャーミングな方なので、武士の娘として厳しい役を演じても、厳しいだけでなく人としてのチャーミングさも出るかなと思いました。結婚式の時の機恵子の表情は好きです。
――「愛ですね」やキリスト教的な言葉のやりとりなど、実際に役者が口にすると嘘(うそ)くさくなってしまうようなセリフが出てきます。それをいかに観客を白けさせないよう映画として成立させるか、ご苦心があったのではないでしょうか。
「愛ですね」というセリフは、機恵子と軍平の会話としては不自然に感じませんでした。あとは、俳優が機恵子、軍平として映画の中に存在できるかという問題だと思っていました。それぞれのシーンの本読みをしながら、キャラクター作りの話し合いをして作りました。
むしろ、信仰から離れていた矢吹(幸太郎)が軍平の言葉で信仰に戻るシーンは非常に難しかったです。実際に数分の間に彼が変化するのですから、映画を観る人にリアリティーを感じさせるのは本当に難しいです。ただ、矢吹役の小柳(心)さんはその短い時間の中で変化したと、私は芝居を見て感じました。俳優の力で成立したシーンだと思います。
――映画の準備をされる中でさまざまな資料を読まれたと思います。その中で、映画では取り上げられなかったけれど印象に残っているエピソードなどはありますか。
14歳で家出をして岡山から東京に行く時に、当時、初代内閣総理大臣だった伊藤博文に「面倒を見てくれ」と手紙を書いていたことは驚きました。そんなこと、14歳が思いついて行動するなんて、彼の物怖(お)じしない行動力はこの時からあったと思います。
また、機恵子と結婚して新婚旅行に行くのですが、その時に軍平は、せっかくもらった休暇を利用して『平民の福音』を書きます。機恵子はその清書をするのですが、新婚旅行先でいきなり本を書き始めた軍平と機恵子の2人のエピソードは面白いと思いました。
機恵子は軍平に結婚を申し込まれますが、家族に反対されます。機恵子の家は名家で、さまざまな縁談があったそうです。機恵子は、「軍平となら、世のために尽くすという信念を実現できる」と決心し、軍平と結婚します。機恵子と軍平のエピソードは多くを削らなくてはならなかったのが残念です。
――監督にとって最も思い入れのあるシーンは。
大切なシーンはたくさんあります。今思い出すのは、軍平は『平民の福音』を書いている時に泣きながら書いたと言いますが、私は機恵子が亡くなるシーンは書いていて涙が出ました。それぞれ自分の道を真っすぐ進んでいた2人の心が交じり合うような、深い夫婦の愛を感じました。
――作品の中で「愛」という言葉が何度も登場しますが、監督は「愛」をどのようなものと考えていらっしゃいますか。
軍平が実践しようとしたのは、ただその人のために行動したい気持ち、見返りを求めずに行動したい気持ちとしての「愛」だと思います。彼の行動原理はその「愛」にあるんじゃないでしょうか。ただ、機恵子の死のシーンでの「愛」は無償の愛とは別なものですが、私は大切なものだと思っています。お互いを必要としている気持ち、ここは、お互いを信頼している気持ち、お互いを感謝する気持ちが感じられます。
――助けた少女とおにぎりを分け合うシーンが印象的でした。おにぎりを一度ならず何度も相手にちぎって渡すというアイデアはどこから。
軍平は遊郭に乗り込む前に茨城県に行き、1人の少女を救ったというエピソードを見つけました。映画は、軍平の人生をいろいろと描こうとするあまり、彼の人間的な部分が弱い感じがして、脚本の我妻(正義)さんに相談しました。おにぎりを何度も分ける、これは脚本家の我妻さんの発案です。相手に分けてあげたい、その気持ちが終わらず、お互いにずっと続く、ずっと打ち解けなかった少女の気持ちの変化がすごく感じられるシーンだと思いました。
――明治と今とではさまざまなものが違いますが、それでも今と切り結ぶとしたらどういうところでしょうか。
軍平が過ごした明治の時代は、欧米から新しいものや考え方が入ってきて社会が大きく変わろうとしていた時代の一方、欧米に対抗して富国強兵を国家は目指し、若者たちも立身出世を目指しました。その中で軍平は、「国のため、社会のため」というよりも、具体的に苦しんでいるそれぞれの人に目を向け、彼らのために活動します。そして、人のために生きることに生涯をささげます。今の時代に、山室軍平に光を当てることは、「人のために生きる」という生き方に光を当てることだと思います。今の時代こそ、その光が必要とされていると思います。
――映画を作るにあたって大変だったことはありましたか。
この映画は支援者の寄付で作られました。1200円の寄付で1回映画を観ることができる「制作協力券」で寄付を集めました。まだ企画を立ち上げたばかりで映画の寄付もなかなか集まらない時に、ある老夫婦から確か15万円くらいの寄付をいただきました。そのお金は、夫婦で旅行に行くために貯(た)めたお金だったそうです。「それよりも山室軍平の映画を作ってほしいから寄付する」と、添えられた手紙に書かれていました。その手紙をいただいて、この映画を実現することの責任を強く感じました。
――最後に読者の方にメッセージを。
私は、山室軍平の「人のために生きたい」という情熱と、彼の愚直な人間性に惹かれました。今は処世術のような本が多く売れていますが、器用に生きようとするのではなく、不器用でも愚直に情熱で前に進もうとする山室軍平の生き方が私は好きです。人のためにこのように生きる生き方もすてきな生き方だなと思います。
問い合わせ:アルゴ・ピクチャーズ(電話03・3584・6237)
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