誰かによって傷つけられたとしても、その人を憎み続けるのをやめましょう。そのことで、さらに自分自身を傷つけることになるからです。憎しみと怒りを心のタンクにしまい込んでおくと、心身に大きなダメージを与えます。
傷ついて、どうしても赦(ゆる)せないとしたら、その傷つけた相手ではなく、傷ついた自分の過去をまず赦しましょう。赦すことは、人間だけができる偉大な決断です。赦すことができたら、赦せた本人の心が楽になり、癒やされていきます。
赦すことができたら、一連の傷ついた体験が心の糧となり、祝福に変わります。どうぞ、自分自身を、人を、過去を赦す愛を学びましょう。
イエス・キリストは、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイの福音書5:44)と教えられました。また、「ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います』」(マタイの福音書18:21、22)とも教えられました。
「七度を七十倍するまで」とは、文字通り、「7回×70倍=490回赦しなさい!」ということではなく、「無限に赦しなさい!」という意味です。
「無限に赦しなさい!」と教えられたイエス・キリストは、私たちの罪(神に背を向け、神から的外れの状態)の身代わりに十字架にかかって死に、3日目に復活して、信じる者の罪を「無限に」赦してくださるのです。
「神の愛は無条件と聞いたけど、信じる必要があるなら、無条件の赦しではないじゃないですか?」と言われる人がいるかもしれません。イエス・キリストは、マインドコントロールによって人を救ったり、赦すのではなく、「赦し」をあなたの目の前に置き、あなた自身の意思によって赦しを受け取れるようにしてくださったのです。
私がラーメンを食べに行ったならば、注文した味のラーメンを「お待たせ!」と、テーブルの上まで持ってきてくれたらそれで十分です。「ほら、あーんして!」と、食べさせてくれても困ってしまいますよね。自分で箸を取り、ズルズルと食べるのがおいしいです。
神様の赦しの恵みは、ラーメンのように、あなたの前に置かれています。あなたの意思で神様の赦しを受け取ってください。この赦しを受けた人は、過去を赦すだけではなく、自分自身、自分の親、傷つけた相手を赦すこともできるようになります。
1つ言えることは、赦さないことは、傷つけた相手に対する復讐にはなりません。そして、赦せたら、自分の心が楽になり、それ以上傷つくこともありません。やがて、傷が癒やされるだけではなく、それが心の糧や祝福、宝、勲章に変わります。
赦しを受け取り、赦しを学び、憎しみや怒りから解放されて、幸せな毎日を送ってまいりましょう。
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