「先生が心配していたよ」と、父が言ったことがあります。それは中学部の頃のことです。保護者会で担任の先生から、こう言われたそうです。「有田君、反抗期なのにあんまり反抗しないでおとなしいんです。それがちょっと気がかりで、心配しているところです」
13、14、15歳の年頃は思春期を迎え、成長していく上で誰もが見せる反抗期の時期に、僕は反抗する気配や態度も表さず、毎日平然とニコニコと学校に通い、何事もなく生活を送っていることに、先生も両親もちょっとした不安を覚えたと言います。
「あの子に反抗期は訪れるのだろうか」「ちょっとは反抗心を出してほしいんですけどね。何で反抗してこないんだろうか? それが心配なんです」。それが1つの、悩みの種だったそうです。
反抗期に反抗してこない僕を、きっと両親は少し不思議に思っていたのでしょう。「家でもほとんど怒らないし、反抗しないんですよね。なぜなんでしょう?」。父は先生に相談したと言います。
時々怒ることはあっても、何かモノなどに当たるとか、両親に反抗して歯向かうことや暴力的になることなどは、まったく見られなかったのです。実は、「逆らったら生きていけない。見捨てられてしまう」、そんな恐怖が頭の中をよぎり、あり得ない妄想を膨らませていたのでした。
PTA会長や福祉関係の代表などをしていた父は、優しい面もありながら、何とも言えない独特の雰囲気を持つ怖い存在でもありました。家の中でダラダラとしている父は、福祉や障碍(しょうがい)児教育、また一般常識、礼儀などに関してとても厳しく、怒ると人格が変わってしまうような表の顔と裏の顔を持つ人でした。
「逆らったら、何をされるか分からない。最悪、殺されるのではないか」と思うほどの恐ろしい、人には言えない一面がありました。
父は、福祉関係のさまざまな会合やイベント、催し物に僕を連れていきます。そして「あそこにいる人、◯◯さんっていって◯◯福祉の人。憲も会っておいた方がいいね」と車いすを押され、会場に来られている方ほぼ全員、会う人に「こんにちは。これが息子の憲一郎です。よろしくお願いします」と僕を紹介していきます。こうして1日に何十人、何百人という障碍を持つ親や障碍者福祉の関係者に会い、声を掛けられていました。
僕はおとなしく、父に車いすを押されていました。会う人、会う人に「こんにちは。よろしくお願いいたします」と笑顔で、また「もう嫌だ。疲れたよ」とふてくされながら、一人一人にあいさつをしていました。
会う人一人一人にあいさつをし、話をしていると、「仲がいい親子ですね」「素直で立派に育ったお子さんですね」などと言われましたが、なぜだか、そんな言葉を言われるたびに僕は首を横に傾け、「本当はちょっと違うんだけど。怖いだけなんだけど」、心の中で、そう思っていました。その言葉に父はご機嫌で、笑顔を見せ、その姿は鼻高々で自慢げでした。何十回、何百回と同じような光景を経験しているものの、その雰囲気や空気になじむことができず、とても嫌でたまりませんでした。
以前にも書きましたが、「社会の福祉のために役に立てれば」と、父は僕を障碍者福祉の実験台、実験モデルにしていました。今思えば懐かしくも思えますが、僕は嫌々ながら繰り返される実験のモデルやあいさつ回りに嫌気がさしていました。しかし、怒ると恐ろしいほど怖かった父に対して何も言えず、ただただ「怒られたくない」と愛嬌(あいきょう)を振りまいていたのです。
それまで何をしても何をされてもおとなしく、感情をむき出しにして怒ることなどあまりなかった僕が、高等部に入ると、自分のそれまでの人格が嘘(うそ)かのように怒りっぽくなり、毎日何かに怒りをぶつけていました。それは学校でのことです。
給食の時間、先生に食事介助をしてもらいながら一緒に給食を食べます。どうでもいい、絶えない話で盛り上がり、本来なら一番楽しいはずの給食の時間が、僕にとってはとても憂鬱(ゆううつ)に思う時間となっていました。
介助してくれる先生はコミュニケーションを図り仲良くなり、信頼関係を築こうと話をしてくれ、面白いことなどをしてくれていました。その中で先生は突然、僕の給食を何も言わずに一口わざと食べました。これも1つのコミュニケーションであり、厳しい社会に出ていくための教育だったのかもしれません。
それまで自分の食事を誰かに食べられても「間違えたんだろう」「笑いを取ろうとしているんだろう」と思い、ただ笑って楽しんでいました。しかし、高校生になった僕は、先生に自分の分の給食を一口でも食べられると、表情がこわばり、怒り出すようになってしまいました。自分の人格がまるで180度変わり、変貌してしまったかのようでした。
それからというもの、先生や同級生、また先輩、後輩から何かをされ、何かを言われるたびに顔の表情を変え、怒りをぶつけていました。
僕は怒りが抑えられなくなっていました。自分で「何で怒ってしまっているんだろう・・・。バカみたい」と思いながらも怒りが先行し、感情が表に出てしまっていたのです。「もしかして、これが反抗期というものなのか」、僕は怒りながら、そう思いました。
その怒りの矛先は学校内のことだけでした。家や両親の前ではおとなしく、何事もなかったかのごとく静かにしている僕がいました。「もし父さんに逆らったり反抗したら、殺されるかもしれない」、大げさなことではなく、父には恐ろしいオーラがありました。
保護者会で父は「有田君、すぐ怒るんですよ。性格なのか、反抗しているのか・・・」と、先生に言われたそうです。家ではおとなしく反抗など見せることなどなかったので、話を聞いた父は驚きました。
前回書いたように足が痛く、学校を休んでいました。「保護者会でなんて言われるだろう」、そう思いながら、家で父の帰りを待っていました。父が帰ってくると「憲、先生から聞いたぞ。怒りっぽいんだって。何でだ!何を考えているんだ!父さんの立場も考えなさい!」、そう言われました。その時、僕は「結局は父さんの立場なんだ」、そう思ってしまいました。
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