聖母マリア聖マルコ・コプト正教会(京都府木津川市)が7月、設立から1年を迎えた。今月27日には、同教会の聖別式に伴い、2012年11月に教皇となったタワドロス2世(64)と司祭らの訪問団約20人が同教会を訪れた。
教皇の初来日とあって、教会入り口では京都府警による厳重なセキュリティーチェックが行われ、身分証明書の提示も求められた。
「中東ではテロが多発しています。万一のために」
受付のコプト正教徒の女性がそう説明をした。
同教会は設立以来、常駐司祭がいなかったが、23日、オーストラリアのコプト正教会から日本コプト正教会に派遣されるモーゼ・アイヤッド(Moses Aiyad)司祭が叙聖された。
27日には、初来日を果たした教皇を一目見ようと、コプト正教徒だけでなく、他教派のクリスチャン、コプト教研究者など約100人が教会を訪れ、聖体礼儀(正教会で「ミサ」「聖餐」のこと)にあずかった。NHKによる撮影など、一般メディアによる取材も行われた。
コプト教会は1世紀にエジプトを訪れた福音書記者マルコによって設立されたという。多種多様な宗教を持つ地であるにもかかわらず、マルコはエジプト全土にキリストの教えを広めた。カトリックの教皇がペトロの後継者であるように、コプト正教会の最上位である教皇は、このマルコの継承者とされている。
コプト教徒の人口は、エジプト国内で約1200万人から1400万人、エジプト国外には200万人から300万人と言われている。
一方、日本のコプト正教会は、2004年頃から全国各地で活動を開始。日本での初めての聖体礼儀は、同年5月に神戸で行われ、それ以降、東京、大阪、鹿児島など、全国各地で行われるようになった。聖堂の設立は16年7月16日。京都府木津川市にあったプロテスタント教会が引っ越すことになったことから聖堂を譲り受け、日本コプト教会の聖堂とした。
しかし、日本常駐の司祭がいなかったため、オーストラリア・シドニー主教区のジョシュア司祭がたびたび訪日し、聖体礼儀や洗礼機密などを執り行っていた。今月叙聖されたアイヤッド司祭が近々来日し、日本に常駐する予定だ。日本コプト教会の司祭が就任することにより、今後、京都以外での聖体礼儀の機会も以前より多くなることが期待されている。また今回、新たに助祭として、日本人、在日アメリカ人の男性3名が任命され、教皇からの祝福を受けた。
タワドロス教皇は27日に行われた聖体礼儀の中でこのように話した。
「コプト正教会には3つの使命があると考えています。1つ目は、愛を無条件にささげること。2つ目は、母なる教会として、国籍を問わず、すべての人を守り、すべての人を受け入れること。そして3つ目は、イエス様に倣って、どこでも、どんな人のためにも仕えるということです。聖書にこうあります。『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネ3:16)。神様は、どれほど皆さんのことを愛されているでしょう。今日お越しいただいた皆さまに感謝を申し上げます」
タワドロス教皇は聖体礼儀後、訪れた人々からのあいさつや記念撮影に応じるなど、気さくな一面も見せた。コプト正教徒にとって教皇との対面は、生涯に何度とない貴重な機会。1人ずつゆっくり話す時間はなかったが、「生涯忘れられない日となった」と話すコプト正教徒もおり、教皇の隣で写真に写る人々は皆、満面の笑みを見せた。教皇からはプレゼントとして、自身の挿絵の入った扇子やキーホルダーなどの記念品も振る舞われた。
午後からは公開の記者会見が行われた。
タワドロス教皇は、広島と長崎の原爆被害についても触れ、「いつか日本に行って、少しでも長崎や広島の役に立ちたいと考えていた」と話した。また戦後、日本が大きく成長してきたことにも関心を持ち、今回の初来日の際には日本人の寛大な心にも感動したという。
来日の目的についてはこう話した。「私は世界中のコプト正教会を巡回しています。今回は、日本初のコプト正教会が設立され、常駐司祭も決まり、公式に日本のコプト教会の設立を宣言するために私の存在が必要だと思い、訪れました」
また、イスラム教国エジプトにおけるコプト正教会と、1パーセント未満の日本人キリスト教徒が同じ少数派であることから、「日本のクリスチャンにメッセージを」という本紙からの要望に、教皇は次のように答えた。
「イエス様と共にいるなら、私たちは決して『少数派』ではありません。エジプトでは1世紀から7世紀まで、多くの人がコプト教(キリスト教)を信じていました。その後、イスラム教がエジプトに入ってきたのです。しかし、私たちは宗教が違うとしても、エジプト人として同じ国に生きています。少数派であっても、エジプト人として同じアイデンティティーを持っているのです。日本のキリスト教徒たちにも同じことが言えると思います。今は少数派かもしれません。しかし、これからもっとイエス様のことを人々が知って、キリスト教が拡大していくことを期待しています。『拡大』というのは、決して私たちの力によってではありません。聖霊様の力を受けて拡大していくものだと信じています」