羽田孜(はた・つとむ)元首相が28日午前7時6分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。82歳だった。
1993年、政治改革を主張して自民党を離党し、小沢一郎氏らと共に新政党を結党した直後、衆議院選挙で自民党を下野させ、細川護熙氏を総理大臣として非自民連立政権を樹立。8カ月で細川内閣が総辞職した後を受けて羽田氏が第80代内閣総理大臣となったが、社会党が連立離脱したことなどにより64日間で総辞職した。2012年に政界を引退した。葬儀は9月8日午後1時から青山葬儀所で。喪主は妻の綏子(やすこ)さん。
民進党の羽田雄一郎元国土交通相は長男で、キリスト教主義の敬和学園高等学校3年の時に日本基督教団新潟教会で洗礼を受け、今は同教団富士見町教会に籍がある。国家晩餐祈祷会にも出席している。
雄一郎氏の母であり孜氏の妻である綏子さんも、その祖父である津下紋太郎(つげ・もんたろう)から続くクリスチャン。津下紋太郎は岡山県倉敷出身で、1884年、14歳の時に、設立されたばかりの組合派の天城基督教講義所(日本基督教団天城教会)でケーリ宣教師から洗礼を受けた。翌年、同志社普通学校に進み、93年、同志社神学校を卒業。98年に実業界に転じ、後にカルピス製造会長、日本製鉄や日本石油の専務、同志社理事などを務めた。