「はこぶね便」をご存じだろうか。キリスト教関係のチラシをまとめて全国の教会に送るサービスだ。その働きを4年前から始めた有限会社トップスペース代表の上原雄平(ゆうへい)さんに話を聞いた。
――上原さんのご出身は?
東京都八王子市です。両親がクリスチャン(日本長老教会杉並教会)で、日曜日に行われた小学校の運動会も、まず教会に行ってから参加させるほど信仰教育が徹底していました。
――お母さんはどういう人だったのですか。
何でもやってみる人でした。「まずは自分でできることは自分でやってみなさい」。これが母の教育方針でした。その影響がこの「はこぶね便」の働きのベースにあると思います。
――最初に就職されたのは?
JR系の広告代理店です。都内の主だった路線の広告物を扱いました。週3、4日は泊まりがあるほど仕事は大変でしたが、そのような中でいろいろなスキルを教えてもらいました。でも、ここは3年で辞めました。
――どうしてですか。
自分の会社を立ち上げたのです。2001年4月のことです。野立て看板(交通広告)の広告代理店をスタートしました。地主さんに看板を立てたいと交渉し、少しずつ売上を伸ばしていきました。
――大変だったのでは?
そうですね。関係作りはいわゆるお酒の飲みニケーションばかりでした。忙しくて、生活もひどくなっていきました。
そのうちに店舗経営に興味を持ちました。初めて1つのお店(ディスカウント理容室)を始めて、続けて飲食店と、とにかく若いのでイケイケで仕事をしました。26歳の時です。しかし、とにかくお酒の付き合いが多かった。そんな中、ある事件が起きてしまいました。
――それは何ですか。
飲酒運転をして車をぶつけてしまったのです。クリスチャンと言っていても、ズルズルとこの世の流れで仕事をし、最終的には罪を犯してしまった。悔い改めの時間が重くのしかかりながら、飲みニケーションをやめ、取引先の整理を迫られました。その結果、会社の業績は傾いてしまいます。いろいろと悩む中でうつ病にかかり、自宅から出られなくなってしまいました。その頃、結婚して長女が生まれたばかり。家族に(特に妻に)迷惑を掛けました。
――そこから立ち直れたのですか。
いえ。事業の業績を伸ばすため、借り入れをして、数千万円かけて3つ目のラーメン屋を、まさに起死回生の勝負をかけて出しました。しかしヒットせず、赤字が続いてしまいました。
――そうですか。
もうこの店は閉じようと思ったのですが、大家さんと原状回復についてトラブルとなってしまい、内装をすべて取り外した状態ではなく、居ぬきで入った時と同じ状態にして戻すようにと、原状回復費として法外な2千万円という要求をされたのです。まさに倒産の危機を迎えました。
――どうされたのですか。
まず取引先から紹介された弁護士に相談しましたが、「争うのは勧めない」と言って断られました。諦めようと思っていた時に、その後、妻の両親から若いクリスチャンの弁護士を紹介されました。キリストの栄光教会(東京都東久留米市、川端光生牧師)に義父母は通っていて、その教会員にその方がいたのです。彼の返事は「調べさせてください」と、とても誠実なものでした。
――弁護士の方はどうしてくれましたか。
大家さんから言われていた期限が近付いてきて、その方に電話をしました。「大家さんから『今この金額に応じないのであれば、請求額は増えることになる』と言われ、このままだと問題が膨らむだけなので、大家さんの条件に応じる」と伝えるつもりでした。しかし彼は、「不当な請求に応じるのは神の真理とは思えません」と言うのです。そして、あらゆる判例を調べてからこの裁判を引き受けてくれました。最終的に調停という形で示談をしていく中で、170万円の支払いで終えることができたのです。
――よかったですね。そのような方に助けてもらえて。
私と彼の違いはいったい何なのかと考えさせられました。そして彼には、「何のために仕事をしているのか」という理念があることに気付いたのです。僕より10歳も若い彼に衝撃を受けました。視点が違うんですね。神はどうされたいかが大切だったのです。
――大きな気付きですね。
自分のクリスチャンとしての幼さを強烈に感じ、今のままではいけないという思いに駆られ、自分はもっと霊的に成長しなければならないと、キリストの栄光教会に通って訓練を受けました。そして、これからは神様の喜ばれる仕事ができるといいなと思うようになったのです。
――それはどのような訓練だったのですか。
毎週の暗唱聖句テスト、聖書通読、礼拝の説教要約、生活宿題のレポート提出――例えば、赦(ゆる)せない人に「赦す」「愛している」と言ってくるなどの課題、毎週の教会の学びに参加、共通ディボーションのレポート提出という内容で、10カ月ほどの訓練を受けました。こうして神様から離れた生活を元に戻し、神の国の基準で生きたいと決意したのです。
――具体的な訓練ですね。
はい。そこで気付かされたことの1つは母との関係でした。母は「よそはよそ、うちはうち」といつも言って、御言葉を出してくるんです。何かにつけて「イエス様ならどうすると思う」と言われるので、私にとってそれまで煙たい存在でした。
しかし、この訓練を通して、母が言っていたことが本当だったんだと分かりました。「イエス様ならどうするのか」。まさにプログラムで学んだことでした。
――そのことはお母様に伝えたのですか。
直接、弟子訓練のことは伝えていませんが、ある日、茶道教室に通っていた母から突然電話が掛かってきました。「具合が悪くなったので迎えにきてほしい」と。人に頼ることが苦手な人だったので、「これはよほどのことだ」と思い、急いで車で向かいました。
到着した時には母は道にしゃがみこんでいて、人だかりができていました。すぐに病院に電話をして急いで病院に向かいましたが、話し掛けても意識がもうろうとし、途中で私のことも分からなくなりました。これは最期の会話になるかもしれないと思い、大きな声で「イエス様を教えてくれてありがとう」と初めて母親に言ったのです。
母は茶道中、一酸化炭素中毒になったようです。一命を取り留めた母は、今も元気にしています。今思うと、人生の最後に「イエス様を教えてくれてありがとう」と言ってもらえる人生はいいですよね。私も4児の父として、イエス様のために生きる人生を子どもたちに伝えていきたいです。
――その後、会社はどうなりましたか。
この間も会社はドン底のまま、1年間、給料が出ない状態が続きました。学資保険をすべて解約し、車を売って生活をつないでいました。でも、こういう試練が与えられるのは、私が神様から特別に愛されているからだと思っています。6年前の話です。
そこで、やはり経営理念が必要だと祈り求めました。すると、「クリスチャンを元気にする」というキーワードを神様が与えてくださったのです。クリスチャンの友人からいろいろな話を聞く機会がありますが、元気がない人が多い。だから、この仕事がクリスチャンを元気にする活動になったらいいなと思っています。
――そこで始めたのが「はこぶね便」の働きですか。
はい。牧師の机には郵送物がうずたかく積まれています。どれだけ多くの宣教団体などがそのお知らせを読んでほしくて、費用も手間もかけて準備したことでしょう。1つの団体が全国の教会に送ると、送料だけでかなり掛かります。しかし、「はこぶね便」はそれを他団体のものと一緒に送るので、1通10円で済み、コストダウンが可能です。そして、今まで送れなかった教会にまでお知らせが届くようになります。「今まで来たことのない案内が届いて嬉しい」と喜びの電話を何度もいただいています。これはGood Ideaではなく、God Ideaです。
「はこぶね便」のチラシなどの封入作業は、八王子福祉作業所(「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」の理念で運営されている障がい者のための作業施設)で働く人たちにしてもらっています。
「はこぶね便」は創設から4年目になり、軌道に乗りました。これからも、クリスチャンが共に神の国を実現していくということを大切にしていきたいと思っています。
■ はこぶね便