イエス・キリストが周辺で布教したことで知られるガリラヤ湖(イスラエル)に近い「ヒッポス・スシタ遺跡」では、5世紀末から6世紀初頭のものとみられる教会群が見つかっている。これまでに少なくとも6カ所の礼拝所が確認されているが、最近、これまでに知られていない未知の聖人のものとみられる墓が発見された。
ヒッポス(=古代ギリシャ語、アラム語で「スシタ」)は、今日のイスラエル、ヨルダン、シリアをまたぐ地域を占領していたローマ帝国の東部にあった10都市の1つ。今回発見されたのは、東西に長い石造りの墓で、骨は墓の西側にまとめられていた。少なくとも55歳以上の女性のものとみられ、骨粗しょう症を患っていたことが分かっている。
イスラエル紙「ハアレツ」(英語)によると、発掘チームの共同監督であるマーク・シューラー教授(カナダ・コンコルディア大学)は、墓の中の遺品を取るため、何者かが墓を西側から開け、遺骸を西側にかき集めたためだと考えている。西側には頭蓋骨があり、東側には足の骨の一部が残っていた。当時、尊敬されていた女性は足を東に向けて埋葬されており、シューラー教授は、墓に埋葬されていたのは未知の聖人だと考えている。
当時のキリスト教徒はさまざまな信仰解釈を持っていたが、互いにできる限り近くに教会を建設していたと考えられている。1つの場所に多様な教会が共存しているのが普通のことだったようだ。中には、異なった時代に建設された教会もあったかもしれないし、神学的見解の違いを無理やり調整されたこともあったかもしれない。
ヒッポスでは、約5千年前の銅器時代ものとみられる破片も発見されており、数千年にわたって人が居住していたと考えられているが、この古代都市は749年の地震で滅びている。
シューラー教授は、「(ヒッポスで発見された教会のうち)大聖堂と北西部の教会だけが部分的に使用されていたとみられます。南西部の教会は焼かれて放棄されていました」と言う。一方、北東部の教会は、意図的にすべての扉が閉められていた。シューラー教授は、当時の人々に信仰がまったくなくなってしまったか、人口の大量喪失があったか、あるいは幾つかの教派が消滅したためかもしれないと話している。
5世紀のキリスト教徒の間では、イエス・キリストの神性について議論があった。単性論者はイエスと父なる神は同一だと教えた。しかし、6世紀のヒッポスの聖職者たちは、子なるイエスは父なる神とは分離しているが、神性を有する存在だとするカルケドン派の見解を支持していたとされている。