14日は「母の日」。毎年5月の第2日曜に祝われるこの愛すべき行事は、米国に起源を持つ。アンナ・ジャービスという女性が、南北戦争中に敵味方にかかわらず兵士を助ける活動に身をささげた母をしのび、母が日曜学校の教師をしていた教会で、母の好きだった白いカーネーションを贈ったことが始まりとされる。
そして、このことを日本に紹介し、定着させたのは、明治から昭和初期に青山学院に関わった3人の女性宣教師だった。1881年から1884年まで、海岸女学校(青山学院前身校の1つ)の第3代校長を務めたメアリー・J・ホルブルック(1852~1912)は、1908年から米国で祝われるようになった「母の日」に触れ、日本でもこれを広めようとしたが、病に倒れた。
その後、1911年から1915年まで青山女学院で教えたマイラ・E・ドレーパー(1859~1935)は、メアリーから「母の日」のことを教えられ、1913年に日本で初めて「母の日」の行事を行っている。
ファニー・G・ウィルソン(1868~1957)は1900年から1902年まで青山女学院院長を務めた後、青山学院の宣教師館で長く暮らしていたが、日本にも「母の日」を広めたいというメアリーとマイラの意志を受け継いで、日本各界の著名人に働きかけた結果、1932年に日本で初めて「母の日」が公式行事として祝われるようになった。
青山学院では、母の日にちなんだ礼拝として、幼稚園の「母の日礼拝」、初等部の「お母さんへの感謝の集い」、中等部の「母の日・家族への感謝の日礼拝」がそれぞれ行われ、園児や児童、生徒がカーネーションや似顔絵などを母親に贈っている。
また今年、青山学院大学では、あまり知られていないこの事実を学生の手で盛り上げるため、日比谷花壇と、カーネーションの産地である静岡県賀茂郡河津町とのコラボレーション企画を実施し、学内各所を「母の日」色に染める。また、懸田(かけだ)豊名誉教授の総合文化政策学部の授業でも、14日の母の日の約1カ月前から、日比谷花壇とのコラボレーションで、青山キャンパス(東京都渋谷区)の大学17号館1階エントランスにフォトスポットを設置する。その他、「母の日」をテーマに学生が作成したポスターや、「青学発『母の日』」をコンセプトにした街灯フラッグを掲出している。