次男を早くに亡くし、妻に先立たれ、神学校で学んでいた三男まで突然、天に取り上げられた。その痛みと悲しみの中で、「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」(詩篇119:71、口語訳)と著者は告白しつつ、次のように自分に問い掛ける。「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか」
そこで著者は聖書の言葉を引く。
「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。・・・ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい」(1テサロニケ4:14~18)
「どうすれば」との問いに出した答えは、パウロが事実として伝えたこのことを「公言することに他なりません」(140ページ)と著者は言う。それが本書のタイトル『事実によりて―福音の証言』という意味だ。
著者は病院のカウンセラー、教会の伝道師を経て、キリスト教主義学校の宗教主任(学校の牧師)として横浜女学院で10年、青山学院中等部で11年働き、現在は和泉短期大学児童福祉学科のチャプレン・准教授を務める西田恵一郎氏。本書は、そのような歩みの中で紡がれたショートメッセージ集だが、この本をまとめる最中の昨夏、三男が急逝したことにより、第3章から様相がガラリと変わる。突如、「西田玄(はじめ)告別説教」が入ってくるのだ。その後、息子の玄氏が書き残した文章と父の恵一郎氏の文章が交互に編まれる形になり、最後は、妻、眞由美さんの告別式で語られた説教で閉じられる。特に第4章の2「悲しみの構築」は絶唱と言っても過言ではない。
著者は眞由美さんとアメリカ留学中に出会って結婚し、3人の男の子に恵まれるが、帰国した後、次男を7歳で亡くす。そして三男の玄氏も、肝臓でたんぱく質を分解できず、体内にアンモニアがたまる同じ先天性の病気で、年に2、3回入院しながら食事や運動の制限と大量の薬の服用をしながら成長した。
そんな中でも眞由美さんは持ち前の明るさと積極性で皆から愛され、「こんなに大変なのに、なぜあなたはそんなに明るいの!?」と言われ、著者が伝道師として献身して給料が4分の1になる時にも、「何とかなるわよ」と励ました。また、神学校に通う夫を経済的に支えるために働いた会社でも、「お子さんを亡くして大変なのに、なぜあなたは・・・」と言ってくれた社長は洗礼に導かれたという。
やがて著者は東京神学大学を卒業して横浜女学院の宗教主任として赴任するが、その年、眞由美さんは脳腫瘍に倒れ、翌年には心筋梗塞を患い、以後、不自由な生活を送ることになる。しかし、「いつも何か面白いことを探し、そして、それを見つけているのです。そんな彼女に幾度となく救われて、今日の私があります。・・・彼女は『御言葉を語りなさい。キリストを語りなさい。自分のことを話し始めたら、自慢話になってしまうから』とよく言っていました」(162~163ページ)
その眞由美さんが2014年に亡くなるのと時を同じくして、三男の玄氏は父の通った東京神学大学に入り、父と同じ道を歩み始める。
亡くなった眞由美さんに対する後悔や自責の念に駆られる日々の中で、著者を救ったのが、神学生になった玄氏がペンテコステ早天祈祷会の奨励で語った言葉だった。
「神学校に入ってから、僕がそれまで経験してきた病気による苦しみやそういった様々なことは、この日のためにあったんじゃないかと・・・思わずにはいられない。そうでなければ、あまりにも自分のそれまでの人生は理不尽すぎる・・・」(129ページ)
著者は大切な家族を1人、また1人と目の前で失っていく中で、チャプレンとして働き続けた。妻が「キリストを語りなさい」と言い残し、息子が特に伝えたかった聖句が「恐れるな。語り続けよ」(使徒言行録18:9)だったというのは、2人がそれぞれその言葉を主から聞き、主がこれを2人に語らせたのだと著者は言う。そして、玄氏の告別説教の最後、このように自分を奮い立たせるように声を振り絞る。「語るだけではなく、御言葉に生きなければならない。それに命を懸けなければならない。そのために生かされているのですから」(103ページ)
西田恵一郎・西田玄著『事実によりて―福音の証言』
2017年3月1日初版
四六判 172ページ
新教出版社
定価1500円(税別)