キリシタン大名というと、高山右近の右に出る者はいない。いや、日本キリスト教史における信仰のヒーローとさえ言えるのではないだろうか。
戦国時代、特に織田信長や豊臣秀吉のもとでキリシタンが爆発的に増えたのは、右近の信仰によると言っても過言ではない。右近が地位を捨てる決心をしたおかげで信長は最大のピンチを脱することができ、以後、宣教師やキリシタンを優遇するようになった。信長亡き後、秀吉によるバテレン追放令の時も、右近は領地を返上して信仰を取った。そして、1614年の徳川幕府による禁教令により国外追放となった右近は、到着後間もなくマニラで没するが、当地で右近は「信仰のために流刑にあった殉教者」として熱烈に迎えられるのだ。
右近はバテレン追放令後間もない1590年、当時のローマ教皇シスト5世からこんな書簡を受け取っている。
「わたしの愛する子ユスト高山右近殿へ・・・神を敬い心から仕えるキリスト者は、いさぎよくこの世でのつとめを捨て、またこの世の富に頼らず、苦しみを主から与えられた恵みとして受け入れ、聖性への道をまっとうしようとします。あなたはその模範を本当によく示してくれました。追放という身分から逃げ出すことなく、築き上げたすべての富を失っても、毅然として、神を信じて生きる態度は揺らぐことはありません。・・・キリストの教えは・・・殉教という証しによって広められてきました。あなたは追放という境遇をとおして、そのことを本当によく示しています」(64ページ)
殉教者を多く出した日本への関心は当時から欧州で高く、そのため多くの宣教師が命がけで日本に来、また明治以降の宣教再開へとつながって今に至っているのだ。
先月7日、右近が福者(聖人に次ぐ崇敬の対象)とされたことを宣言する列福式が行われた。しかし、右近を聖人にという運動はその死後間もなくマニラで起こり、その後、日本に引き継がれ、400年の時を経て、多くの人々の献身的な働きにより今年の列福式が実現したという経緯はぜひ心に留めたい。
日本宣教の最初期にそんなかっこいい信仰の勇者、素晴らしい信仰的遺産を持っていることを、私たち日本人クリスチャンはもっと誇りに思ってもいいのではないだろうか。その前に、右近のことをもっと知りたいと思う方もおられるかもしれない。そこで紹介したいのが本書だ。
右近の生涯をたどるように、ゆかりの地を実際に訪れて取材したのは「カトリック生活」(ドン・ボスコ社)編集長の関谷義樹神父(写真担当)とライターの塩見弘子さん。2011年から5年かけて巡った地は、豊能、沢城、芥川城、高槻、有岡、安土、京都、賤ヶ岳、大阪、明石、博多、室津、小豆島、金沢、名護屋(佐賀県)、伏見、高岡、長崎などに及ぶ。
「山城(芥川城や沢城)・・・などに行って今さらながら気づいたことがある。現在それぞれの場所で見える山々の形は、右近の時代とそんなには変わってはいないはずだということ。だから、右近もあの山の形を見ていたのだろうと思うと、なんだか感慨深くなってきた」(関谷、122ページ)
「こうして自分の足で登ってみると、やはり何か当時の人たちの息吹を感じるのです。・・・この山頂の城でダリオ(父)に見守られながら右近も洗礼を受けたんだなあと思うだけで、胸に迫ってくるものがあります」(塩見、『悠遠の人高山右近』296ページ)
その取材の成果は月刊「カトリック生活」に4年間連載され、塩見さんの著書『悠遠の人高山右近』(同)としてまとめられたが、同時に出されたこのオールカラーのムック版は、雑誌連載時より写真を増やし、同書から主要部分をダイジェストした手軽な読み物として再構成されている。さらに列福までの軌跡など、さまざまなコラムや寄稿もあり、多角的に右近のことを知ることのできる好ガイドと言えよう。
塩見さんはこの取材の旅の中で、ある確信を得たという。
「右近は生涯のどこかで神と一対一で出会った決定的な瞬間があったのではないか。・・・そのときの衝撃的な記憶が、他のキリシタン大名と一線を画して、右近を生涯、ゆるぎない信仰者へと導いていった」(同、297ページ)
その決定的な瞬間とはいったいいつだったのか。それを確かめに、あなたもこの本を片手に、右近の足跡をたどる「聖地巡礼」の旅に出てみてはいかがだろう。
『高山右近 歴史・人物ガイド―その霊性をたどる旅』
2017年2月7日初版
B5判 128ページ
ドン・ボスコ社
定価1000円(税別)