いよいよ今日3月1日からレント(四旬節、受難節)が始まる。この日が来ると、昔から教会の中で次のように呼び掛けられてきた。
「主にあって愛する兄弟姉妹。代々の教会は我らの主の苦難と復活とを記念するこの期節を、深い献身の思いをこめて守ってきました。深い悔い改めと断食と祈りの時としてこれを守り、イースターに備えることが教会のならわしとなったのです」(「レントへの招き」今橋朗『よくわかるキリスト教の暦』キリスト新聞社)
「レント」といっても、ピンと来ない人が多いかもしれない。イースター(復活節、復活祭)にゆで卵を配って祝うことはしても、特に日本社会には「教会(典礼)暦」の伝統がないからだ。
教会暦とは、12月のクリスマスを頂点とする降誕節から始まり、受難節、イースター、ペンテコステ(聖霊降臨日)を経て、最後は「王であるキリスト」を祝うというように、1年のサイクルの中でキリストの生涯を覚えるためにある(ただし、教派によって時期や呼び方が違う。詳しくは八木谷涼子『キリスト教の歳時記―知っておきたい教会の文化』〔講談社学術文庫〕など参照)。
今年4月16日のイースターを迎えるにあたり、1カ月半にわたるレントの期間をぜひ有意義に過ごしてみてはいかがだろうか。
教会暦に従って1年間のミサや礼拝を行う教会では、毎年、イースターへの備えとして、キリストの受難を思いながら、悔い改めと祈りに集中する期間を持つ(洗礼志願者にとってはその準備の期間。昔、洗礼は年に1度だけだった)。それをカトリックでは「四旬節」と呼んでいる。
「四旬」すなわち「40」は、キリストが公生涯に入る前に受けた「荒れ野の誘惑」の40日間や、カナンに入る前の「荒れ野の40年」など、聖書では「準備の期間」としての意味がある(他にノアの洪水、モーセのシナイ山滞在、ヨナのニネベへの警告など)。
レントは40日間だが、6回の日曜日は数えないので、イースターの46日前からレントは始まる。それが今日の「灰の水曜日」だ。カトリックなどで行われるやり方を紹介しよう。
「灰」は、「わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(ヨブ42:6)というように、聖書では「悔い改め」のシンボル。1年前の「枝の主日」(イースターの前の日曜、キリストのエルサレム入城を記念する)で使われたソテツの葉などを教会に持ち寄り、それを燃やして灰が作られる。
そして水曜日、日中や夜にミサが行われるが、その中で聖体拝領と同じように、行列に並んで前に進み、司祭から「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」と声を掛けられながら(創世記3:19参照)、額や頭部に灰で十字のしるしを付けてもらう「灰の式」が行われる。
その後、それぞれ断食や節制などを行いながら、イースターに向けて悔い改めの期間を過ごすことになる。教会では、聖卓(祭壇)や説教壇のテーブルクロス、牧師、司祭の祭服やストールなどが「悔い改め」を表す紫色(典礼色)に変わる。喜びの賛美歌や「ハレルヤ」(アレルヤ)という言葉などは使わず、結婚式もこの期間には控えられる。
そして、レントの最後の1週間は「聖週間」(受難週)。パームサンデー(棕櫚の日曜日、枝の主日)から始まり、キリストが十字架に付けられるまでの1週間を思いながら過ごすことになる。特に後半の「聖なる3日間」は、皆が教会に集まる教会暦のクライマックスだ。司祭が信徒の足を洗う聖木曜日、十字架の死を心に刻む聖金曜日、そして聖土曜日には洗礼式が行われる。こうして翌日曜日、キリストの復活を祝うイースターを迎えるのだ。
「そこで私は、み名によって、この聖なるレントヘとあなたがたを招きます。自らをかえりみ、悔い改めと祈りと断食と愛の献げ物によってこの期節を守りましょう。神のみ言(ことば)に親しみ、これを味わいつつ、切に祈りましょう」(同)