戦時下の日本に留学し、27歳で獄死したクリスチャンの詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ、1917~45)。彼を追悼する集い「詩人尹東柱とともに2017」(主催:詩人尹東柱を記念する立教の会)が19日、立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区)で開催された。360人が集まってその清冽(せいれつ)な生涯を振り返り、平和への思いを新たにした。
尹東柱は1942年に日本に渡って立教大学、同志社大学で学び、母語である朝鮮語で一途に詩を書き続けた。翌年、友人に民族運動を扇動したとして治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、終戦間近の45年2月に福岡刑務所で命を落とす。この悲劇的な出来事を記憶するため、2008年に「詩人尹東柱を記念する立教の会」が設立され、毎年、尹東柱が亡くなった2月16日に合わせて追悼集会を行ってきた。
まず追悼礼拝では、同大元チャプレンの柳時京(ユ ・シギョン)司祭がメッセージを取り次いだ。その中で、「立教と同志社の2つの大学に籍を置きながら、卒業証書をもらえていない尹東柱に卒業証書を出したらどうか」と提案し、最後に、自身、日本の生活の中で支えとなったという「たやすく書かれた詩」の最後の一節を披露した。「昨日までの嫌な自分とは別れて、明日、未来に向けて新たな自分として生まれ変わる。そういう尹東柱の心を皆さんと分かち合い、これからの世界を作っていきたい」と締めくくった。
その後、ニューヨークを拠点とする韓国人バンド「雪降る地図」のハン・ウンジュンさんとイ・ジヨンさんが「星を数える夜」と「たやすく書かれた詩」をギターに合わせて清らかに歌い上げた。
続いて、今年が生誕100年に当たることから、特別プログラムとして、詩と音楽で紡ぐ「『尹東柱物語』―空と風と星と詩」が上演された。音楽・語り・詩の朗読によってその生涯を辿る構成だ。
まず、小鳥のさえずりの中、尹東柱の誕生から、キリスト教系の学校で学んだ少年時代のことなどが語られていく。そして、中学生の時に初めて雑誌に掲載された「空想」、日本の植民地政策による弾圧が広まる中で作られた「夢は破れて」、また、その頃多く作られた童詩の中から「貝殻」「春」「雪」が朗読された。延禧専門学校(現・延世大学校)の寮で暮らしていた頃の希望に満ちた様子などが語られ、「新しい道」「弟の印象画」の朗読、そして当時の明るさを思わせる延禧専門学校の校歌・応援歌が続いた。
その後、自選詩集の出版を願いながらもかなわず、手書きの詩集『空と風と星と詩』を3部作って恩師と親友に送ったこと、その後、日本への留学を決めたことが語られる。「十字架」「星を数える夜」「懺悔録」「たやすく書かれた詩」は、悲観的で苦悩に満ちた詩だが、そこには絶望感はない。それを教えてくれるように、ピアノとチェロの演奏が優しく響く。
そして、愛する人を得た喜びをうたう「春」。それが一転して逮捕へとつながっていく悲しみを、ピアノ独奏のショパンのバラードが伝える。続く韓国民謡の「パランセ」、最後はラベルの「マ・メール・ロウ」が流れる中で、会衆全員で尹東柱の代表作であり、最も知られている「序詞」を朗読し、短い生涯を駆け抜けた詩人を偲んだ。
集会に参加した30代の女性は、「尹東柱の詩が大好きで、朗読を楽しみにしてきた。特に好きな『星を数える夜』を歌でも聞けてうれしかった」と感想を語った。また、今回で2回目の参加だという女性は、「『尹東柱物語』の構成がすばらしかった。詩と音楽がよく合っていて、詩のよさを味わうことができた」と話した。