日曜日は学院教会の礼拝からスタートする。
森重正子さんは、ラジオ放送「希望の声」を始めた初期のころ、熱心に通信講座を受講してクリスチャンになった。「人形のもりしげ」の社長として活躍した方である。
学院教会の礼拝に来はじめたころ、大阪の阿倍野橋で、以前店長として活躍していた石田良子さんにばったり出会った。石田さんのやせて苦しそうな姿に驚き、事情を聞いたところ、会社を辞めてから肝硬変を患い、今も治療を続けているとのことだった。
教会に誘ったが、石田さんは、せっかく教会に行くのなら、聖書を読んでから行こうと心に決め、旧新約聖書を四ヵ月で完読した。それからいっしょに礼拝に出席し、イエス・キリストを信じて、バプテスマを受けた。
そんな石田さんが大阪日赤病院で主治医よりガンを宣告されたのは、一九九一年のことだった。「君はクリスチャンだから、大丈夫だね。実はガン細胞が出たが、初期であり、今のうちにガンを閉じ込めてしまうために薬を入れよう。血管造影でやる予定だが、がんばってください。大丈夫ですよ」と医師は言った。彼女は少し考えて、「先生、それで何年ぐらい生きられますか?」と尋ねた。「五年が目安と思ってください。でも、今はどんどんいい薬ができてくるから、それが最低の日数だと思ってください。心配しないで」との答えだった。
真夜中の病室で、彼女は「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときに、ゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください」と詩篇のことば(4:1)を読んだ。それから「神様、私の頭をからっぽにしてください。ガンということばと思いを消してください。主を賛美します。安らかな眠りをください」と祈ると、不安は消えて、熟睡できた。イエス・キリストを信じた日から、罪が赦され神の子となった喜びと平安に満たされていた。永遠のいのちが与えられているから、天国へ行ける確信をもっていた。五年のいのちと宣告されても、同時に礼拝で聞くいやしのメッセージに、神の全能を信じる信仰ももった。
肝臓部分にできたピンポン玉のようなしこりのために、彼女に祈りを求められたのは、一九九四年のある日曜日の礼拝前のことだった。「『わたしは主であって、あなたをいやす者である』。『その打たれた傷によって、あなたはいやされた』。イエス・キリストの名によって、ガンよ消えてなくなれ。アーメン」と短く祈った。
その直後の検査では、ガンは見つからなかった。しかし十数年間も彼女の身体を詳しく知る主治医は、ガンは必ずどこかに隠れていると確信していた。再々にわたって血液検査から骨の検査までを繰り返し、成人病センターに資料を送り、あらゆる面から調べた。ガンは見つからない。次の年、その次の年と定期的に検査したが、何の兆候も見いだせなかった。
それでも医学的には考えられないと、医師はもう一度CT検査をした。すると小さな影が写っていた。私は礼拝前に、また手を置いて祈った。数日後、MRTの検査をしたが、何の異常もない。まったくの健康体になっていた。「五年を目安にしてください」と宣告されて、ちょうど五年目だった。主治医は「君のからだのほうが、私より健康体だぞ。すごいね」と、検査表を説明しながら微笑んだ。ちょうどその日はクリスマス・イブ、キャンドルを手に主を賛美する彼女のほほは感謝で濡れていた。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)