「イスラーム映画祭2」が14日から約1週間、東京都渋谷区の映画館「ユーロスペース」で開催された。平日、休日問わず、館内はほぼ満席。休日には立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。
同映画祭は2015年末に行われて以来、今回で2回目。前回、SNSなどを通して「東京以外の地域でも開催を」との声が多かったことから、今回は名古屋、神戸でそれぞれ上映を予定している。
主催者は、代表の藤本高之さんを中心とした映画好きのボランティア数人 。藤本さんは、映画祭の期間中、深夜に仕事、昼間は映画祭のスタッフとして活動するなど、体力的には厳しい数日間になるにもかかわらず、映画への情熱、そして何よりもバックパッカーとして旅して感じた世界や出会った人々が忘れられず、映画祭開催に至ったという。
1回目の映画祭開催時は、直前の11月にパリで同時多発テロが発生しており、日本中がイスラム教への関心を高めていた時期だった。しかし、主催者側としては、「映画によって、『何かしたい』などという社会意識があったわけではない」と藤本さんは話す。
年間300本近くの映画を見るという無類の映画好きでもある藤本さん。「暇さえあれば、映画館に行っています。一般の映画も見ますが、多くの人の注目を浴びていなくても、名作映画というのはあるものです。そんな映画を見るのが好きです」と語る。
2001年に起きた米同時多発テロ以来、世界の流れが大きく変わり、「特に世間ではイスラム教徒に対する偏見の目というのを強く感じている」と藤本さんは言う。しかし、旅先で出会ったイスラム教徒たちは、皆、人懐っこくて、優しい。生活の中に、すでに「信仰」が根付いているので、全く違和感を覚えなかったという。
自分が感じたイスラム教徒たちの印象と、世間が感じているイスラム教徒の印象との間に大きなギャップがあるのを感じ、「映画によって、彼らの違う一面を見ていただけたら」と話す。
「一方で、前回に引き続き、多くの人がイスラム映画に興味を持っているようだが、イスラム教徒が少ない日本で、なぜこのような現象が起きるのか?」と尋ねると、「1つは、雰囲気でしょうね。エキゾチックな感じは、イスラーム映画ならでは。こうした文化的な雰囲気に興味を示す人は多いのだと思います」と答えた。
「キリスト教映画祭を開催したら、どんな反応があるか予想はできますか?」とさらに質問してみると、「イスラム教は、もう生活の全てが『宗教』と言ってよいと思います。女性の洋服、食ベ物、祈りの時間によって1日が始まるなどですね。ですから、映画を見ただけでそれらを感じることができますが、キリスト教はそういった意味では、一見は仏教徒なのかキリスト教徒なのか分からないというのは、イスラムとの違いかもしれません」と話した。
藤本さん本人は「仏教徒」だと断言している。バックパッカーとして世界を旅する中で、日本ほど宗教に無頓着な国はないと実感したという。どこの国に行っても、一人一人に国籍があるように宗教を持っていると感じ、「無宗教」で平然としている日本の文化に疑問を持ったのだという。「日本は『宗教』というと、『勧誘』や『洗脳』などのマイナスイメージしかない。しかし、本来、『宗教』ってそういうものではないと思う」と藤本さんは語る。
映画祭では、エジプト、バングラデシュ、イランなどの映画の他、イスラム教徒も多いタイ映画も上映された。
中でも、キリスト教徒とイスラム教徒が共生する村を描いたレバノン映画「私たちはどこに行くの?」は、多くの人の関心を集めた。レバノンの女性クリスチャン映画監督によって製作されたこの映画は、何かにつけて戦いを挑みたがる男たちをユーモラスながらも平和的に解決しようとする女たちの姿を描いている。
戦いの犠牲になった男たちの墓場は、道を隔てて、十字架のあるキリスト教徒たちの墓とイスラム教徒たちの墓とに分けられている。教会とモスクが小さな村にも存在し、女たちの姿も信仰によって異なる。しかし、女たちは信仰の違いを乗り越えて、テーブルを囲んでティータイムを楽しみ、互いの家を訪問し合う。一方で、男たちは小さなことでも信仰の違いから争いを始め、互いに認め合うことはしない。
この状況を打破するために、女たちがあの手この手で村の平和を守ろうと奔走する。ともするとタブーとされる「宗教」というテーマをコミカルな方法で描くのは、それらの宗教が共存する中東ならではの映画といえる。コミカルな場面だけでなく、信仰故に残忍な事件も起きる。そこには、一切の「笑い」はなく、シリアスにありのままを見せる。痛快に笑うばかりだけでなく、見た人々の心に何かを訴える貴重な作品だ。
映画祭は、東京での上映を終え、現在は名古屋「シネマテーク」で、27日まで上映中。その後は、神戸「元町映画館」で3月25日から31日まで上映予定。詳しくは、フェイスブックを参照。