一九八八年、毎週日曜日の夜になると、富雄キリスト教会の兄弟たちが牧師館に集まっては、ビジョンや夢を遅くまで語り合っていた。そんな中、それぞれが自分の夢を語るだけでなく、教会のビジョンも生まれてきた。エリムチャペルの夢である。エリムとは旧約聖書の出エジプト記15章に出てくる地名で、ヘブル語では大きな木という意味がある。英語の綴りはELIMで、私たちはこの語にExcellent Love In Mission(最高の愛に生きるミッション)という意味を重ね合わせた。その夢の中から兄弟たちは、それぞれの成功の道を歩みつづけている。
牧師として、教会員が祝福されることほどの幸せはない。「あなたの幸せが、私の幸せです」と心から言えるようになりたいと願いつづけてきた。兄弟姉妹がしっかりとキリストにとどまり、天国に行くまで救いの中に成長することを祈っている。経験不足もあり、多くの失敗を重ねてきたが、本音は教会員の幸せである。祝福だけを祈るのが、私に与えられた使命である。
長い間、本音と建前が分からないままで生きてきた。このごろでもあまりよく分からず、とまどったり失敗したりする。
たとえば、「牧師先生、私は富雄キリスト教会ではなく、他の教会に移ります」と言われると、人間的には悲しいが、そのことが本人の願いであるなら、祝福になると思っているので、私は引き止めない。「分かりました」とだけ言う。そして教会を去った兄弟姉妹が、幸せに祝福された信仰生活を送り、天国に行くまで信仰を全うできるように祝福だけを祈る。
私につまずいた信徒の数は決して少なくはないが、信仰から離れた者はほとんどない。そのようにイエス・キリストに導いた確信がある。私たちの教会から去ったが、牧師になった者もたくさんいる。何と感謝なことだろうと、いつも主に感謝している。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)