三浦綾子さんの作品を読んでいると、小説の中で明るい世界が描かれている時には、ただ嬉しいのですが、塩狩峠の主人公が、自分の身を鉄路に投げて、走る電車を止めて多くの乗客を救った話、また、洞爺丸事故の時、自分の救命具を他の人に与えてしまって、自分は天に召されてしまったストーク宣教師のお話など、何れも私達の信仰の先輩が、キリストに倣って生き、また死んだ事に身が引き締まる思いです。――三浦綾子さん御自身は如何でしょうか? 神様について語って人々に知らせる事を終生の願いとして、語り続ける作家三浦綾子自身が、壮絶な姿です。――先日、私達の『主イエスとともに』に引用させて戴いた文について、彼女にお礼のお手紙を差し上げましたら、お返事を戴きました。「良く証しして下さいました」とありました。有名作家としてでなく、それは感謝する一人のクリスチャンの姿でした。その手紙で、「夫婦が信者である事は実に大きな恵みです」「ご夫妻がいよいよ用いられます様に」「奥様のお体も大いに強められます様に」という、彼女三浦綾子さんの口から出る言葉は、三浦文学が夫三浦光世さんが筆写する愛の二人三脚のお仕事である事を考えれば、御生活から滲み出たものであるし(私達の本も夫婦共著です)、また、妻の健康をいたわって下さるお心も、妻と同じく腸のガンを体験されたからでしよう。(私は、ふと、私達の有様が彼女のそれと似ている事に気がついたのです。後年、綾子さんと光世さんが結婚式を挙げられた時の司式牧師のお名前が、不思議と、私の名前と大変良く似て中嶋昭一牧師であった事に気付きました)
三浦綾子さんは、二十四歳の時結核にかかって十三年、更にカリエスになって七年、それから直腸ガン、それにパーキンソン氏病と、次から次にやって来る病いと闘って、それでもなお、神様の愛を伝えようと執筆を続けています。目的は同じ、神様の愛を語るためです。三浦綾子さんに恵みが満ち溢れます様に。『生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである』(ガラテヤ書二・二〇)