東洋英和女学院大学は10月15日、「村岡花子記念講座」開設企画セミナー「日本の近代化とキリスト教学校~女子教育の歴史にみる東洋英和~」の第1回を「女子教育とミッションスクール」とのテーマで開催し、地域の人たちや卒業生ら約180人が集まった。基調講演とパネルディスカッションを通してキリスト教学校の歴史を振り返り、日本が近代化していく中で女子教育が担ってきた役割などについて意見を交わした。
「村岡花子記念講座」開設企画セミナーは、同大が2017年度より新たに開設する「村岡花子記念講座」の告知をかねて5回にわたり、港区と東洋英和女学院の連携事業として一般の人を対象に開催するもの。第1回となる今回は、東洋英和女学院大学前学長で現学院評議員の村上陽一郎氏と長崎にある活水女子大学学長の加納孝代氏の2人が基調講演を行い、その後、東洋英和女学院大学現学長の池田明史氏も加わり、パネルディスカッションが持たれた。
先に登壇した村上氏は「基督教と学校教育」とのテーマで、学校という概念の歴史について解説した。「学校」の歴史を農耕社会の出現に見る村上氏は、古代社会においては、次世代に種々の技術を伝承していくための組織として学校が存在していたと話す。一方、古代ギリシャ・ローマ時代では、心身の鍛錬や知識の伝達の場であったギュムナシオンがあり、プラトンのアカデメイア、アリストテレスのリュケイオンといった職能的な、次世代の育成のためとはいえない学校が存在し、欧米の学校の源泉にもなっていると話した。
キリスト教社会では、東ローマ帝国の時代に、各地に洗礼志願者のための教理問答形式の指導を行う学校が生まれている。特に大切なのは、11~12世紀にかけて各地に作られた大学だ。そこではリベラルアーツが学生たちに必修とされ、聖職者と医師と法律家を養成する上級学校が付設されていた。初等教育という概念の出発点もこの頃だという。
日本の歴史の中で、一番なじみ深い学校といえば、江戸時代に各藩が持っていた藩士の子弟のための藩校と、寺を中心に行われた寺子屋だ。村上氏は、「この時代にこれだけの教育が行われているということは極めて特筆すべきことだ」と述べた。また、律令時代に貴族のための教育機関がすでに存在していたことからも、日本にも古くから学校の伝統があったと話した。
続いて日本のミッションスクールについて話した。明治初期、キリスト教は近代化の1つの武器として認められる中、主としてプロテスタント系の伝道師が私塾の形でミッションスクールを設置した。しかし、加藤弘之が、キリスト教が国体にとって有害であると論じた明治30年代末あたりから、国家の対応は大きく変わった。
1899年の文部省訓令第十二号(宗教教育禁止令)により、ミッションスクールは正規の学校に留まれなくなり、1903年の専門学校令によって、男子教育は「英学専門学校」、女子教育は「女子専門学校」などとして生きていくことになる。その一方で宗教教育をやめて正規の学校として生きていく道を選んだ学校もあり、村上氏は、これらの一連の出来事は、日本のミッションスクールにとって注目すべきことだと強調した。
続いて登壇した加納氏は、「婦人宣教師と日本の女子教育」とのテーマで語った。まず加納氏は、産業革命後「男性」と「女性」の働く場が分離したことで、米国の教会での女性の役割が高まり、さらに、社会的進出が阻まれていた女性に教会を通じての活動の道が開けたと語った。また、海外にキリスト教婦人宣教師を派遣する団体(「海外伝道局」)の運営も女性の手で行っていたことを説明し、こういった活動を通じての仕事は無償ではあったが、米国内の白人女性層の社会的能力を育てたと話した。
加納氏は、米国が婦人宣教師を海外に派遣した時期が、日本の近代化とちょうど重なっていることも指摘し、日本に来た婦人宣教師たちの活動に話を移した。当時婦人宣教師たちは、正式に牧師になることができず、そのために活動範囲が限られ、特に女子の学校教育に力が入れられたという。その中では、幅広いリベラルアーツ教育が行われ、美術や工芸の分野では、日本の女性には開かれていなかった領域も教えた。また婦人宣教師や牧師夫人というロールモデルを提供する形で、日本の女性たちに生き方や考え方などを示したという。
続いて、キリスト教女子学校が行った教育の現代的意義について語った。どんな学校でも「良い人間」を育てることを教育目標としているが、キリスト教学校は、イエス・キリストという典型的に「良い人間」のモデルを持っていると述べた。また、良い人間、良い行い、良いことの発想の根底には「価値」があると言い、ミッションスクールではその「価値」を教えてきたことを明かした。そして、キリスト教女子学校では、人間が人間の魂を育てるのに必要なことを具体的、かつ経験・体験重視で教えてきたと話した。
加納氏は、「教育は本来、人間が、良い人間に、なるための過程」だと強調し、近代、現代の日本の教育観の誤りとして、教育(Education)と有業(Job)の混同を挙げた。その上で、牧師になることができず「プロの」伝道者の道が阻まれた婦人宣教師は、「教育」の領域へと、男子のように立身出世の道が阻まれていたキリスト教女子教育は、「人間教育」へと向かったと語った。そして、「明治・大正・昭和の時代に『良い人間』の要素をより多く備えていたのは、キリスト教女子学校の『人間教育』で育てられた女性ではないだろうか」と締めくくった。
この基調講演を踏まえて池田学長は、現在の教育現場を通してキリスト教女子学校に求められることについて語った。「現在、女子の4年制大学への進学率が男性を上回るようになり、労働市場も女性がいなければ成り立たなくなっているにもかかわらず、日本社会が相変わらず男性優位のままなのは、即戦力、効率性、合理性、競争力、得点主義といった男性を働き手とする社会に、女性が合わせなければならないからだ」と池田氏は指摘する。
池田氏は、「1億総活躍社会にするためには、男女それぞれの特徴を生かして相互補完的なところで制度を作っていくべきではないか」と提案し、「それは、社会との関わりや仕事の価値を、達成感や成長感、自分が役に立っていることや承認されていることの実感を通して、見いだしていくという在り方だ」と述べた。その上で、「自分の成長や、人の役に立っているかどうかの基準は、キリスト教では、『神からの承認』になる。キリスト教教育は、そこが焦点になるのではないか。そういう感覚を育んでいくことがわれわれに課せられた使命だと思っている」と語った。
続いて、池田氏もパネリストに加わり、パネルディスカッションが行われた。モデレーターは、東洋英和女学院高等部卒業生で「日経ビジネスアソシエ」編集長の泉恵理子氏が務めた。
パネルディスカッションの第1のテーマは、「社会の変化と女子教育の変化について」。この中で、村上氏は、「女性の社会進出は進んできてはいるが、世代間で差がある」ことを指摘した。加納氏は、「女性が社会でも人間として働くには、男女が半分ずつ力を出し合って、家庭や社会を支えていかなければならない。学校はその意味では、男女とも同じ教育を受けさせる責任がある」と語った。
池田氏は、「男女同じ教育は必要だが、それぞれに得手不得手があるのではないか。それによって働き方の中身も違ってくると思う」と話した。加納氏はそれに対して、女性も不得手を克服しようと努力して社会に進出しようとしている。同様に男性も不得手を克服して、例えば家庭を支えるという役割を果たしてほしい、と述べた。
また、泉氏が「キリスト教に基づく女子教育という点ではどうか」と問い掛けると、村上氏は、「アメリカの名門女子大学・セブンシスターズのうち、完全な女子校は1校だけになっており、今後女子だけということにどういうメリットがあるのか、若い人たちに考えてほしい」と、今後の女子大学の行方を次世代に託した。加納氏は、「女子校でも、男子校でも、男女共学でも、良い人間になるための教育を同じようにしなければいけない。それをしっかり教えることが一番大切」だと話した。
第2のテーマは、「キリスト教学校の特徴」。村上氏は、「キリスト教系学校は、親御さんの立場から見れば<安心できる場所>、という捉え方も否定できない。人間として自分の魂を磨ける場所であってほしい」と語った。加納氏は、「日本のミッションスクールは、日常生活を大切にしてきた。人間は日常生活の中で学べることがたくさんある」と話した。
池田氏は、東洋英和女学院大学の特徴についても語った。「東洋英和は小規模校なので、教職員と学生の距離は近いが、逆に、その距離の近さをどのように活用していくかが問題」と、教職員がクリスチャンでない現状での全人的教育の難しさを伝えた。「大学でキリスト教を教えるには、学生と教員の間に人格的な関係が結ばれていなければ不可能。今は、原点回帰が非常に大事かと思っている」と語った。
最後のテーマは「これからの社会に必要な女子教育について」。加納氏は、高等教育に行く前にしっかり小・中・高段階で基礎教育をするだけでなく、大学の教養課程でも人間を教えてほしいと述べた。また、キリスト教主義でなくても、あらゆる教育機関で良い人間を教えることを切望した。村上氏も、クリスチャンと限定しなくても、自らの魂を磨ける習慣を作る<誘い水>をいろいろな形で用意できる教育が大切だと伝えた。池田氏は、教育の質が上がることで、労働の質も上がっていくことを強調し、女性が仕事によって自己実現できるような教育や、社会の仕組みの変革の必要性を訴えた。
セミナーに参加した港区在住の女性は、「自分もミッションスクール出身だが、あらためて女子大でのキリスト教らしい教育とは何かを考えさせられた」と感想を語った。