1923(大正12)年9月1日。突然関東地方を強い地震が襲った。賀川は救助に先立ち、被害状況の調査をするため山城丸で神戸を出航した。
はるは9カ月になる純基をおぶって「イエス団」の人々と共に荷車を引いて下町から山の手を回り、衣類の寄付を募った。3日午後8時半横浜に上陸すると、震災の後の現地は惨たんたるありさまだった。
幾万もの避難民が行き交い、辺り一面焼け野原と化していた。彼はひとたび神戸に引き返すと、各地の教会を講演して回り、40の会場で7500円の献金を集めた。それから、イエス団から12個、YMCAから29個の救援物資を持って再び被災地に行った。
死者・行方不明者約14万3千人、負傷者約10万3千人といわれるこの災害で、東京の本所が最も被害がひどかった。崩れた家屋に死体は累々と横たわり、足の踏み場もない中で、孤児たちは泣く力もなくあちこちにうずくまっていた。
「この世の地獄だ」。賀川は放心したようにつぶやいた。しかし、それから間もなく、彼は本当の地獄をその目で見なくてはならなかった。朝鮮人が井戸に毒を入れたとか町に放火したというようなデマが広がり、これは無知な大衆を巻き込んで大きな騒動となっていったのである。
「朝鮮人を殺せ!」。暴徒と化した人々は叫んだ。そのうち、憲兵が朝鮮人をひとまとめにして連行していくのを見たという人がいて、こう話した。「憲兵がさ、井戸に毒を入れたろうと言ってやつらをそりゃひどい目に遭わせていたよ」
間もなく、新聞には朝鮮人が俵に詰められて竹やりで突き刺されている姿だの、後手に縛られて体に火を押し付けられている姿などのイラストが掲げられた。賀川がバラック建ての官舎の前を通りかかると、辺り一面が血の海だった。昨夜ここで朝鮮人が殺されたのだという。
「神様、日本人が血に飢えた狼(おおかみ)のように凶暴になっていきます。どうか私たちを救ってください」。彼は涙と共に祈るのだった。
9月16日。夕刊に目を通した人々は、あっと声を上げた。「大杉栄殺さる!」という見出しで、社会主義者の彼が憲兵によって家族もろとも虐殺されたという記事が出ていた。
「大杉さん・・・。だから、あの時忠告したのに」。賀川は溢れ出す涙と共につぶやいた。
キリスト教は嫌いだが、賀川の理想には共感できると言った大杉。目的とするものに裏切られた場合は死あるのみだと言った彼は、その主義のために剣をもって闘い、剣によって滅ぼされてしまったのだった。
10月18日。賀川は本所区松倉町2丁目に救援センターを設けた。そして、米国から送られた五つのテントを張り、活動を開始したのである。この時「イエスの友会」の会員たちが来てくれ、神戸からも応援隊が駆けつけた。
そのうち菊池千歳(ちとせ)という女性が「イエスの友会」の事務や会計、炊事の手伝いをしてくれることになり、また「キリスト教婦人矯風会」の渡辺照子も奉仕にやって来た。彼女は寒風吹きすさぶ夜中に、浅草公園に寝ている人々に着物をかけて回ったのである。
11月1日。賀川のところに1人の大工がやって来た。田中源太郎という名で、賀川の事業に感動し、ぜひ手伝いたいと申し入れた。彼は大切に持っていた20円のへそくりを残らずささげ、翌日から炊事場を建て、机や椅子をこしらえるなどして働き出した。
やがて、ここにバラックができると、神戸からあの馬島僴(まじま・かん)医師が仲間を連れてやって来て、無料診療を始めた。やがて事業の幅も広がり、伝道、社会事業、組合事業、法律相談、職業紹介などの部門に分かれ、救急医療、妊婦保護、児童健康相談、ミルク配給、児童クラブ、勉強会、無料入浴などの活動も同時に行われた。そして、この事業所は「本所キリスト教産業青年会」と名付けられた。
そんなある日のこと。内務省の生江孝之(なまえ・たかし)という役人がやって来た。彼はバラックに溢れる人々と不眠不休で働くボランティアを見て驚き、一体どうやってこの人たちに食べさせているのかと尋ねた。そこで賀川は答えた。
「どんなに大勢の人々がいても、神様は養ってくださいます。私たちは、今まで不思議な方法で助けられてきました。今後も足りない食物を分け合い、最後のお米の一粒まで分け合っていきます」
生江は感服し切ったように頭を下げ、帰って行った。
五重の塔の下、ベンチの下、観音堂の下には、野宿している人が800人もいた。賀川は浅草寺(せんそうじ)を訪ね、「気の毒な被災者のために公園内にテントを張らせてもらえませんか」と尋ねると、住職は快く承諾してくれ、以後2人は親しい友人となったのである。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。