2014年、台湾で行われた台北市長選挙で初めて無所属の柯文哲氏が当選したことは記憶に新しい。柯文哲氏は元医師で「新しい台湾、より透明で健全な市政運営」を公約に掲げ、大変な支持を受けて現在に至っている。
両親は、今も台湾で大きな影響力を持ち、カリスマ的な存在ともいわれ「お父さん、お母さん」、また「パパ、ママ」と国民から親しまれる柯承發氏、何瑞英氏だ。その2人が3月30日、市政府顧問、高官らと共に東京都の板橋区議会を訪問した。
両氏は日本語を流ちょうに話し、イントネーションも日本人と変わらない。同行した関係者も、ほとんどが日本語を話すエキスパートだ。
台湾とのパイプがある長瀬達也区議が取りまとめ、市民クラブとの会談が実現した。市民クラブは板橋区議会の会派の一つで無所属、生活者ネット、社民の6人から構成されるグループで「弱者に光を。平和を尊重する。そして脱原発」を訴える。この中にはクリスチャンで板橋・生活者ネットワークの五十嵐やす子氏も加わっている。
台湾といえば、親日的で、特に東日本大震災ではいち早く被災地支援に大きく貢献した国でもある。ただ、台湾とは形の上では国交がないため、周辺国との関係で課題が多いことは事実だ。
今回はそのような課題を越えて「より友好関係を築いていきたい」と、会派の松島道昌氏、長瀬氏は期待を込めて語る。午前10時ごろ、板橋区役所に一行の車列が到着。五十嵐氏、南雲由子氏は着物姿で迎えた。
会談には、板橋区議会副議長で公明党の小林公彦氏と、東京都で最長の議員歴を持つ市民クラブの橋本祐幸氏も同席した。最初に小林氏があいさつし、「ようこそ、日本の板橋区にお越しくださいましてありがとうございます。台湾にも板橋市という場所がありますが、東京の板橋区は工業部品の生産現場が非常に多く、実は23区では大田区を超えて板橋が一番です」と区をPRした。続けて橋本氏、松島氏、長瀬氏があいさつした。
松島氏は、台湾からの被災地支援に対する感謝の言葉を述べ、「台湾は大切な友。東日本大震災ではいち早く支援をいただいた。日本人は心から感謝をしている」と話した。
台北市政府顧問の謝明珠氏は、「台北市が直面している課題は、市内に中小企業は多いが、工場のほとんどは郊外にあり、汚染の問題にも直面していること」と述べた。板橋区の工業生産について質問を受け、松島氏は「板橋区は小さいが優れた企業がたくさんある。海外から日本の技術を見学に来る方が多い」と語った。
最後に松島氏が「台湾から台北市長のご両親がお越しくださったので、これを機に台湾と板橋区の経済交流をしたいです。いかがでしょうか?」と提案すると、両氏は笑顔でうなずいた。会談は終始和やかな雰囲気で行われた。
会談後、松島氏は「国交がないことは事実。すぐに姉妹都市提携という形ではなく、まずはお互いに良好な関係を作り、次へつなげていきたい」と語った。
会談後に議会を見学した際、柯承發氏と小林氏に話を聞いた。
柯承發氏「台湾はもっと日本の議会制度を見習わないといけない。台湾はお互いに話し合って決めず、すぐに感情的になる。総統が新しく代わり、台湾の雰囲気は良くなるだろう。これで日本への好感が良くなる。もちろん、政治的な面でも仲良くやってほしい」「台北市は負債だらけで、それを坊主(編集注:息子である台北市長をそのように呼んでいる)がきちんと埋めている。安心してほしい」「今の台湾と日本は仲良くやってほしい。われわれ台湾は、中国より日本に向いてほしい。僕が台湾で独立(中国からの)を訴えると、すぐに中国から圧力がかかる。心の中で思っても言えないことがたくさんある。日本人も同様にもっと強くなってほしい。国民党の高官たちは坊主(台北市長)に対して『おまえは日本人みたいだ』とバカにするが、僕はそう言われても気にしない。しかし、大変嘆かわしいことだ」
小林氏は柯承發氏の話に共感し、「世代を越えた交流がより必要ですね」と語った。
板橋区役所1階に展示されている記念碑「平和の灯(ひ)」。被爆地である広島と長崎に関する記念碑の前で両氏は足を止めた。板橋区は至る所に平和を訴えるモニュメントがある。町を挙げて平和に取り組む姿勢に、大変感動している様子だった。「二度とあの戦争をしない」。これは、どの国民にとっても共通の意識であることを再認識する機会となった。
一行は、石神井川沿いの美しい桜並木をゆっくりと歩きながら、春の日本を楽しんだ。「石神井川はアユが棲めるくらい水がきれいですよ」、そう語るのは五十嵐氏。水はきれいで水鳥が気持ち良さそうに泳ぐ。子どもたちが楽しそうに走り、お年寄りが桜を眺める姿を見て、何瑞英氏は「気持ちがいいね。平穏、平穏」とにこやかに語った。
記者が驚いたのは、両氏の日本語力の高さだ。日本が統治していた時代の影響もあるが、イントネーションは日本人と全く変わらない。難しい政治の話題も問題なく話すことができた。愛誠病院では専務理事の三浦雅義氏が一行にあいさつし、高い技術を誇る人間ドックについて紹介した。
最後に、両氏に話を聞いた。
――日本と台湾の関係についてどのようにお考えですか?
何瑞英氏「すごく近いですね。台湾人は日本へ、日本人は台湾へもっと観光をしてください」
――台湾の若者は日本に関心がありますか? どのような点に注目しますか?
何瑞英氏「台湾の若者は日本にすごく関心があります」「いい点は、とにかくどこへ行っても日本は清潔です。台湾はまだまだ進歩する必要があります」
柯承發氏「日本と台湾はそっくりだ。距離も近いし、考えていることも似ている。血を分け合った兄弟だ。だから、仲良くしたい」
――台北市長はご両親にとって息子になりますが、親の目から見た市長はどのような人ですか?
柯承發氏「それは良い質問だ。坊主(市長)は医者をしていた。僕は昔の教育で厳しくしつけてきた。だから、息子はいちずで悪いことをしない。どんな時も、台湾の国民や市民を家族のように接したいと言っている。これからもっと明るい清らかな台湾になってほしい。平和で良い関係を築いていこうではないか」
さまざまな過去の歴史を体験し、混沌とした激動の時代を生き抜いた両氏が、今このように「日本を愛し」日本と台湾をつなぐ架け橋となって尽力している。両国が手を取り合い、新しい時代を切り開いていく明るい将来に期待が膨らむ。
4月14日に発生した熊本地震では、柯文哲市長より義援金が寄付されるなど、友好関係はより未来へ向けて前進していくと思われる。日本と台湾の関係は明るいと感じるひとときであった。